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もうすぐ夜が明ける。
白み始めた空を渋沢は木々の間からぼんやりと見上げていた。
動作の所々に自分は疲れているのだな、と自覚させられて溜息を吐いてしまう。
体力には自信があったが、こうも何時間もぶっ続けで歩いているとさすがに疲労の色を隠せない。
ただ、歩いているだけなら良い。
しかし今回は勝手が違った。
周りに常に気を配り、精神を緊張させていなければならない。
いくら命が懸かっているとはいえ、鍛えられた精神力もこの時ばかりは悲鳴を上げそうになった。
(何て狂った世界が存在するんだ―――。)
ほんの数時間の間に起こった信じられない出来事を思って、渋沢は深く息を吐く。
存在自体は認識していた。
インターネット好きの博識な友人のせいで、そういう情報は嫌でも入ってきてしまう。
あの時は気もそぞろに聞いていたっけ。
フィクションの世界の出来事だと頭の何処かで思っていたから、ルームメイトの真剣な声色にさえ疑問を浮かべて片手間に聞いていた。
だから思ってもみなかった。自分がそのおかしな世界に投げ出されることになるなんて。
(三上に謝らなくてはいけないな。そして教えてやろう。“現実のことだった”と。)
もし、生きて帰ることが出来ればの話だが。
自分の考えにハッとして自嘲気味な笑顔を浮かべる。
生きて帰ること、それはイコールここにいる自分以外の全員が死んでしまうという事実に基づくものではないのだろうか。
自分が知り合いを手に掛けることもあるのかもしれない。
……頭を振る。
このプログラム自体をどうにかして壊したいが、自分にはその為の知識が絶望的に欠落している。
三上が趣味で作ったというウイルスの一つも持ってくるのだった。
そう思って、しかし何で慰安旅行にパソコンウイルスを持って行かねばならぬのかと、そのあまりの奇妙さに思い当たって苦笑を浮かべる。
思考能力も低下しているらしい。
疲れていると良い考えが浮かばない。
この事態を打破する考えなど、あるのなら是非拝聴したいものだが。
はぁ、と深く溜息を吐いて、渋沢は重い足を引きずるようにしてまた深い森を進んでいった。
歩く度に鬱になる自分がいる。
普通の生活をしていれば大凡見る機会にも恵まれないだろう「惨殺体」をもう既に三体も見ている故か。
1人目は東京選抜の谷口。
後ろの席だったので良くは見えなかったが、咄嗟にそちらを向いたとき、九州選抜の高山の後ろ髪が妙に赤黒くなっているのを見てしまった。
自分より長身の須釜の隙間をすり抜けて、それは酷く鮮明に映ってしまったのだ。余計に。
死体を見ていないだけに想像力は掻き立てられるばかりで。
更にニッコリと笑いながら銃弾を放った西園寺の顔も見てしまっている。
2人目はやはり同じ東京選抜の伊賀。
彼の死は谷口の時と違い、隣の黒川が俯いた上その後ろの小岩が仰け反ったため、不運にも良く見えてしまった。
伊賀は小岩の隣の席だったのだ。
首が壊れた人形のようにもげてしまっていた。しかし人形と違っていたのはそこから止めどなく血が、赤い血が、流れ出ていたことだ。
割れた首から見えていたのはヒトの内部。
そして三人目は。
「間宮……。」
間宮茂。
武蔵森でも東京選抜でもチームメイトだった彼。
爬虫類が好きでこっそりと寮で飼っては、脱走事件を度々起こして怒られていた彼。
それでもめげずにまた新しいペットを飼っては繰り返し、いくらやっても諦めないので、終いには満場一致で黙認という形を勝ち取った彼。
彼のルームメイトは少し気の毒だったか。と今になって思う。
そんな彼が死んでいた。
夜の森の中で、ひっそりと、闇の中に紛れるように。
うつ伏せに倒れて―――きっともがいたのだろう―――彼の下の土は酷く荒れていた。
フラフラと引き寄せられるように近寄ると、第一印象よりも凄惨な死体が両眼に否応なく映し出されてしまった。
右指は殆どがあらぬ方を向いてしまっていて、所々蒼く変色してしまっている。
左腕も妙な方を向いていた。制服を着用している為に細部は良く分からない。
更に血で染まった顔。こめかみに空いた穴が致命傷だろう。その表情には苦悶の色しか読み取れなくて。
拷問紛いの上での殺害。
――――――惨かった。
しかしその時渋沢は自分の感覚を奇妙に思っていた。
近しい人間が殺されたのに、自分は存外に冷静だ。
現場を見て死因を考察などして、刑事にでもなったつもりなのだろうか。
まだ死んでからそんなに経っていない。
助かる可能性は0だけれど、それでもほんの数十分前には動いていた「ヒト」だったはずだ。
そんな死体を目にして自分が考えている事と言ったら一体何だ?
伊賀の死を思い出す。
「壊れた人形のようだ」―――確かそう思ったのではなかったか。
しかし今はその表現はこの間宮の亡骸にこそ相応しい気がした。
例えるならば、階段から落ちてしまった操り人形―――。
バシィン!!
澱みそうになってしまった意識を頬を殴ることで無理矢理覚醒させる。
ヒリヒリと右頬が痛んだが、それは良い具合に現実感をもたらせてくれた。
現実だ。
そう思う。
この痛みも、この間宮の死体も、人形(うそ)などではないのだ。
正真正銘間宮茂。
時を止めてしまった、止められてしまった間宮茂なのだ。
現実逃避をして間宮の死を穢してしまうところだった―――妙に上がってしまった心拍数に、深々と溜息を吐く。
混乱している。
しかしその混乱に飲み込まれるほど、俺は柔ではない。
言い聞かせる。
俺はまだ正気を失ってなどいない!
ふと、空を見上げる。
どんよりと落ち込んでいた雲が一層黒みを増して空を狭くさせていた。
この馬鹿げたゲームにお誂え向きの天気だ。
嫌味っぽく笑ってみる。
しかし笑ってみて、自分にはどうにも上手くできない芸当だと思った。
顔の筋肉が思うように動いていない。
三上や笠井なら難なくごく自然にやってのけるだろうに。
弱気になっている自分を悟りたくなくて、渋沢はつい曖昧に笑ってしまった。
『皆さん、第1回目の放送です。寝てる人は起きて下さい。』
新しい朝が来た。
希望の朝だ。
そんな歌詞の付いた歌を流しながら、西園寺は一旦カチリとマイクのスイッチを切った。
少し間を置いて、また入れる。
『最初の説明でも言った通り、これから禁止エリアの発表と死亡者の発表を行います。地図と名簿を出して、準備して下さい。』
そしてまたスイッチを切る。今度は先程よりは間を置かずに彼女はスイッチを入れた。
『まずは禁止エリアの発表です。これから2時間後の8時にI2、10時にB2、12時にI10です。きちんと地図で確認するように。次に死亡者の発表です。19番谷口聖悟くん、3番伊賀人吉くん、28番間宮茂くん、7番木田圭介くん、1番阿部小太郎くん。谷口くんと伊賀くんは私が殺してしまったけれど、他にもやる気になってる子がいるみたいね。良い傾向だわ。』
ふふ、と笑う声がマイクを通して無人島全体に響き渡る。
その空模様とは相容れない妙に明るい声だった。
ああ、もううんざりだ。
両耳を塞いで全ての音を遮断したい衝動をどうにか押し留めて、椎名は震える唇を噛んだ。
じわりと血の味が広がる。
今自分が聞いているのは、今まで慕ってきたはとこの声。
そして、彼女が紡ぐ言葉は友達の死。
知り合いを殺してしまった人がいることに、彼女は嬉しそうに含み笑うのだ。
良い傾向だわ。そう言って。
「……玲……。」
ポツリと呟いた言葉は、床にバラバラと落ちていく。
そんな様が曇った瞳に映った気がして、椎名は幾分自嘲の混じった苦笑を浮かべた。
(弱ってんな。このくらいのことで。)
薄情というならそれでも良い。
けれど今の自分にとってさして親しくもない友人が死んだことより、尊敬さえしていたはとこが壊れてしまったことの方が重要だった。痛々しかった。
西園寺が嬉しそうに残酷な言葉を放つ度に、椎名は胸が痛くて溜まらなかった。
違う。玲はこんなことできる女じゃない。
思っても、壊れた彼女は話すことを止めない。
いつも見ていた西園寺と教室で見た彼女とをふいにダブらせて、いつか、一緒に小さな公園でサッカーをした事を思い出す。
翼、私を止めてみなさい。
何言ってンだよ、今の俺に玲が止められるわけねーだろ。
あら、貴方にしては随分弱気な発言だこと。
勝手に言ってなよ。そんな男勝りにサッカーばっかやってっから男の1人もできないんだよ、玲は。
ま!ムカツク子ねー?
いたたたた!いくら図星だったからって耳引っ張るなよ!伸びるだろ!
伸びて結構。翼、貴方はもうちょっと見聞を広げた方が良いわね。
例えばレディの扱い方とか?
ふふ、そうね。ほんの少しでもその口が優しくなればいいと思うけど。
それは無理だね。これが俺なんだから。
そうね。
玲こそもうちょっと女らしくしたら?折角美人なんだから。
今更お世辞をありがとう。考えておくわ。
そうしてくれると嬉しいね。
ふふ……。
馬鹿が付くくらいにサッカーが好きで、女のくせに(こう言うといつも殴られた)サッカー一筋で、でも、そのテクニックは半端じゃなくて。
俺も将来は彼女のような、いや、彼女を越えるサッカー選手になるんだと、晴れやかな目標を持っていたのに。それがここまで自分を育ててくれた彼女に出来る最大の恩返しだと思っていたのに。
それさえも困難だというのはどういうわけだ。
「……壊してやる。」
自分でも驚くくらいの低い声が、出た。
「このプログラム、何としても壊してやる……!」
政府の奴等が玲を壊したように、このプログラム自体を俺が、ぶっ壊してやる。
そうしないと気が済まない。
奴等だけは絶対に、絶対に許さない!
昇ろうとしている朝日に1人、そう誓っても良いと思った。
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