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間宮と別れてから―――それは随分乱暴な、一方的な別れだったけれど―――藤代は足場の悪い森の中をひたすら走っていた。
しかしそこは武蔵森のエースストライカーと賞された男だ。
生い茂る木々を器用に避けてスピードを落とすことなく突き進む。
常に動くDFを牛蒡抜きにしている彼。
動かない木は彼にとっては障害物にすらならないのかもしれない。
それでもやはり見通しが悪いことに変わりはなく、夜中と言うこともあって、その視界は狭すぎる。
(うーん、追いつけないことはないと思うんだけど。こうも暗いとな〜。)
多分、彼は何処かで立ち止まっていてくれると思う。
性格上、そうせざるを得ないはずだ。
うっし、と気合いを入れ直して、藤代は更にスピードを上げた。
果たして彼の推測は当たっていたのである。
少し進んだ所に比較的開けた場所が存在した。
開けたと言っても少し木の本数が少ない、ただそれだけの場所。
そこに風祭はいた。
静寂の中に短い周期で刻まれる彼の呼吸が妙に響く。
風祭は両手両膝を地面に付いて、必死に整えようとしていた。
全力疾走した故、止めどなく流れる汗に混じって、先程間宮に付けられた頬の傷から血が流れている。
ポタポタと地面に着いた両手に落ちる雫が、妙な色を称えていた。
風祭は虚ろな瞳でそれを見つめる。
球体が象られ、それが崩れて流れていく。そうして地面に溶け込んでいく様を瞬きも忘れて見つめていた。
次第にクリアになっていく頭の中で、無意識に先程の出来事を思い返してみる。
明らかな殺意を持って向けられた銃口。
動けなかった自分。
助けてくれた友達。
逃げろと言った。
彼は今どうしているのだろう―――
「ッ…!」
後悔の念が後から後から溢れて止まらない。
どうして逃げ出してしまったんだろう。
確かにあの状況で自分が留まっても何もできなかったかも知れない。足手まといだったかもしれない。
けれど、これでは見殺しにしたも同然ではないか。
自分らしくない!
何もできなかったのではなく何もしなかったのだ。
行動を起こす前から逃げ出してしまった。
結果、こうして後悔している。
もう後悔なんてしたくないと、強く願ったはずなのに―――!
情けなくて、悔しくて。
思わず涙が零れた。
「藤代くん……。」
気が付いたら名前を呼んでいた。
「あ?」
ふいに名前を呼ばれた気がして、藤代は立ち止まる。
しかし耳を澄ませても聞こえるのはザワザワと揺れる森の音と、時々上がる奇妙な鳥の鳴き声だけ。
気のせいか?
幻聴でも聞こえたのかと肩を竦める。
何となく自分の探し人の声に似ていたような気がする―――しかしそれは自分にとって都合が良すぎる気がした。
もう一度走ろうと鞄を背負い直して構えを取る。
すると今度はハッキリと聞こえた。
嗚咽を噛み殺すような、そんな泣き声が。
「……風祭?」
今一直線に走ってきた方とは少し左に外れた所からそれは聞こえる。
いつの間にか軌道を違えてしまったのだろうか。
慎重に木の間から声の主を確認する。
右手には銃を構えて。
しかし、すぐ上着のポケットにそれはしまわれることになる。
藤代が見たのは必死に泣き声を漏らすまいと、小さい身体を更に小さくしてうずくまっている風祭の姿だったのだから。
「風祭!!」
思わず叫んだ。
すると風祭は一瞬大きく肩を震わせてハッと顔を上げる。
キョロキョロと視線を彷徨わせた結果、暗がりで良く見えなかったが自分の比較的近くに人が佇んでいるのが見えた。
弾かれたように立ち上がる。
そこには嬉しそうに顔をほころばせている藤代の姿。
一瞬幻を見ているのかと思って、目を擦る。
しかし何度見ても、そこにいるのは藤代以外に見えなかった。
「藤代くん!」
くしゃりと表情が崩れたのが自分でも分かる。
多分凄く情けない顔をしている。
けれど今はそんなことなど構わなかった。
藤代。彼が目の前に立っている。
「良かった!追いついた!!」
ガサガサと茂みを分け入って藤代は風祭に近付く。
いつもの笑顔をその顔に浮かべて。
しかし出てきた藤代を見て、風祭の顔色がみるみるうちに変わっていった。
何だろうと彼の視線を追ってみると、自分のブレザーに付いたおびただしい血にそれは向けられていた。
しまった、と思い少し表情を顰めると、風祭が心配そうに走り寄ってくる。
(あれ?)
どうも自分が感じてるものとは違う何かを風祭から感じ取って、藤代は沈黙した。
口は災いの元、風祭が何か言うまで黙ってようと決める。
「……藤代くん、怪我、してるの……?」
そっちの方に心配されてました。
何とも言えない気分になってアハハ、と乾いた笑いを漏らしてしまう。
笑われてもワケが分からず、風祭はその大きな瞳で藤代を見上げる。
ああ、可愛いなーもう。
ともするとにやけてしまいそうな自分の顔の筋肉を叱咤して、藤代は柔らかく笑む程度に留める。
「ゴメン、コレ俺の血じゃないんだ。―――返り血。」
間宮の、とは言わなかった。
言わなくても風祭には伝わるだろう、かなり正確に。
途端表情を強張らせた風祭からそれは伺い知れた。
さぁ、人殺しをしてしまった自分を風祭はどう裁くのだろう?
「……ごめん……。」
しばらくの沈黙の後、風祭から出た言葉はその一言だった。
「何が?」
意味が分からなくて聞き返す。
すると彼は辛そうに顔を歪めた。何かに耐えているかのように。
「言ってくれなきゃ分かんないよ。俺馬鹿だからさ。」
先を促す。
本当に風祭はいつも藤代にとって想像も付かないことをやってのけてくれる。
今回は一体どういう理由の「ごめん」なのだろうか。
一つ深呼吸をして、俯いたまま、風祭は言葉を紡いだ。
「僕のせいで友達を殺させちゃって、ごめん。」
謝って済む問題じゃないけど、謝らせて。
ハラハラと涙を流す風祭を、藤代は興味深げに見つめていた。
(そう言う解釈の仕方もあるのか〜。)
のんびりとそう思う。
てっきり「人殺し!」と罵られるかと思っていたのに。
風祭のことだ、理由がどうであれ人殺しを容認するとは到底思えなかった。
しかし、だ。
人殺しの藤代に風祭は謝っている。
自分のせいだと言って。
藤代にしてみたら間宮よりも風祭の方が断然大事だったので、この結果は当然だと思っているのだが、風祭にしてみると、同じ学校の同じチームメイトの友達を自分のせいで藤代の手に掛けさせてしまったことの方が大事のようで。
でも、ちょっと予想はしていた。いや、確信していたと言ってもいい。
多分彼はそう言うと思っていた。
だから、藤代は風祭を逃がしたのだ。
「風祭、そんなに泣くなって。俺は平気だし。」
努めて平静を装って話し掛ける。
「本当に…ゴメン…僕が居なければ、藤代くんは間宮くんを殺さなくても良かったのに…。」
健気にも風祭はまだ謝ってくれる。
ちょっと可哀相になって、藤代は彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「バッカだなァ。俺は俺の意志で風祭を助けたんだぜ?あのまま見て見ぬ振りをすることだって出来たのに、そうしなかった。何でか分かる?」
呆れたように言う藤代に、風祭は小首を傾げる。
その様子に満足そうに笑んで、藤代は風祭をぎゅっと抱き締めた。
そして耳元で囁く。
「風祭の優先順位が間宮よりも上だったからだよ。」
優先順位。
風祭は目を瞬かせる。
人の命に優先順位?
どうにも理解しがたい考えだった。
「風祭はさ、優しいから皆助かればいいと思ってるんだろう?殺し合いなんて始まらなければいいと思ってる。だけどそれは甘い考えだ。実際にアンタは間宮に殺されかけたしね。俺はその間宮を殺してしまった。もう現実問題としてプログラムは避けられないものになってるんだぜ?いつまでもキレイゴト言ってちゃただ殺されるだけだ。俺は、風祭に死んで欲しくない。」
藤代の腕の中で、風祭はじっとしていた。
聞きたくないことだけど、聞かないわけにはいかなかった。
藤代は真理を述べている。
理想を並べ立てるだけの風祭と違って、自分の意志に正直に行動を起こしている。
凄いと思った。
けれどやっぱり風祭に人殺しなど出来るはずもない。
それがたとえ臆病だ、逃げだと罵られても、その決意だけは変わらなかった。
「うん、そうだよね…だけど、僕はまだ信じていたい。人を友達を。藤代くんみたいにちゃんと考えている人がまだまだいると思うんだ。だから―――」
「甘い。甘いって風祭。間宮みたいなのだってたくさんいるかもしんないぜ?そう言うヤツに会ったら話し合う前にズドン!だ。わざわざ犬死にするようなモンだって。」
「それでも!」
「……わかってよ風祭。俺は本当にアンタに生きていて欲しいと思っているんだ。理想を掲げて死んだってそれは美談になるかもしんないけどさ、俺からしたらそんなモン何になるって言うんだ?俺は風祭が死んだら発狂する自信があるね。俺を狂わせたい?風祭。」
「……。」
「自分を大事にしてよ。難しい注文かもしれないけどさ。」
さすがにそこまで言われると風祭も閉口せざるを得なくなる。
納得はしてないだろう。
けれど言い返す言葉も見つからない。
いちいち真実なのだ、藤代の言うことは。
発狂云々〜のくだりは、本気かどうか分からないけれど。
「……分かった。」
一応、承諾の返事をする。
幾分拗ねたような響きが混じったのが見て取れて、藤代が苦笑した。
まぁ、それが風祭だからな。
妙な納得の仕方で彼もまた、妥協したのだった。
風祭に見えないのを良いことに、藤代はにんまりと笑う。
胸に抱いた温もりに、表情が変に歪みそうになった。
自分の思い通りに事が運んで、何とも大笑いしたい気分だ。
しかし、ここで風祭に悟られてはいけない。
風祭の目の前で間宮を殺しても良かった。
けれど、そうした自分を風祭は認めるだろうか?
いくら助けるためとはいえ、人殺しをした自分を。
どうしてもその後の行動を共にしてくれるとは思えなかった。
実際今も、間宮の死体を見たら彼は自分のことを嫌悪するかもしれない。
いや、するだろう。
折れ曲がった指に、あらぬ方を向いた腕に、こめかみに空いた穴に。
そして流れ出る血に。
きっと彼は顔を顰める。
だから、見せたくなかった。
だから、逃がした。
殺人現場を見せたくないから。
殺人現場を見られたくないから。
―――逃げたことを後悔して、自分に負い目を感じて欲しかったから。
好きだよ、風祭。
こっそりと胸の中で密かな告白をした。
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