30:すきだったよ

 

 

 

最後の最後まで。

本当に、すきだったよ。

 

 

 

「もう少し…もう少しなのに…。」

苛立ちを含む声は、彼以外誰もいない家の中に虚しく響いていた。
 もう夜も更けてきたというのに、その家に明かりは灯らない。
暗い部屋で微かに浮かび上がっているのはパソコンのディスプレイのみ。

椎名はこのプログラムが始まってからほとんど、ノートパソコンの中のソフト、CD-Rと格闘していた。
ただ入れれば起動されるかと思われたCD-Rは、起動にすら時間を取り、そして動かそうともなれば専門的な知識が不可欠なような、複雑な構造になっていたからだ。
彼の予定では既に本部に強襲をかけ、このプログラムという名の殺人ゲームは幕を下ろしているはずであった。
しかしそれもままならない。
パスワード、キーワード、その他諸々に用意しなければならないものはごまんとあり、いちいち調べては当てはめる、当てはめては弾かれるという作業を椎名はひたすら繰り返しているのだ。
いい加減、頭にもくる。

ふぅ。

自分を落ち着かせるためにもと吐いたひとつの吐息。

苛々は少し解消された気がする。

 

「本当にあともう少しなのに―――…。」

 

どうして駄目なのだ。

自問するのには飽きた。けれど、せずにはいられない。
恩師から与えられた最終兵器にも匹敵する力を持つ「お土産」は、着々と準備が進んでいる。
しかし今一歩のところでどうしても駄目なのだ。
自分の知識が足りていないというプライドを傷つけられる事態で、更に状況は悪化しているように感じてしまう。

疲れに目を閉じれば、浮かぶのはいつかの彼女。

 

「玲、元気なのかな…元気だよな、一応。」

 

意地悪く笑う彼女が好きだった。
身体的理由で諦めそうになっていたサッカーに、諦めるなと笑って引っ張り込んでくれた彼女が好きだった。
憧れだったのか、恋慕だったのかは分からない。
兎に角、好きだった。

政府に壊された西園寺は、それはそれは艶やかに微笑むようになったけれど。
悪戯っぽく少女のように笑う西園寺は永遠に失われてしまったのだ。
残念なんてものではない。
政府に対して憎しみさえ湧いてくるほど、椎名にとっては大切な問題だった。

だから、早く政府の奴らに一泡吹かせてやりたい。

よし、と気合を入れなおして、椎名は再びディスプレイに向かい始めた。

 

 
 
沈黙が支配する空間。
人の気配すら消えかねない部屋の外に、足音を忍ばせて近付いてきた者がいた。
そっと中の気配を窺う。
そしてパチパチとキーボードを打つ音以外は見事に遮断されていることに、こころの中でひゅうと口笛を吹く。

(凄い集中力。)

誰だかは分からないけれど。
賞賛を送りつつ、しかし、好都合だとにんまりする。

古い家屋は動くだけでそこかしこが軋んだけれども、その音は、パソコンに一心不乱に向かう目標には届いていないようだった。
薄く開かれている扉さえ、自分に都合が良く。
身体を扉に密着させて少しずつ体重を乗せていくと、たいした音も立てずに入口は開いていった。

 

椎名との距離をゆっくりと縮めて。

振り上げたのは、血塗れの斧。

 

―――…ッ!?」

 

気付いた時には、遅かった。

 

 

「な、…がは、」

 

椎名には分からなかった。
自分の身に何が起こったのか。

ただ、滴り落ちるのは赤。

自分の肩から、口から。

まるで滝のようだと、混濁する頭でそれだけ思った。

 

「あ…き、ら……。」

 

どさりと音を立てて椅子から転がり落ちる。
その音を咎める者はいなかった。
変わりに動いたのは、濃密な空間に揺れる、空気だけ。

ふ、と唇が弧を描く。

下弦の月のように、美しい曲線だった。

 

「かーんたん♪」

 

まるで幼子が自分の手柄を誇るかのように、彼はそう言って笑った。

曇った椎名の瞳に映ったのは、にこにこと人好きのする表情を浮かべる李だった。

 

「…だ、った…のに……。」

 

悔し涙が、流れた。

もう少しで政府の奴らに一矢報いることが出来たのに。

皆助かってこの島を出ることが出来たのに。

 

痛みすらもう感じない。

ただひたすらに、眠気が襲ってくるだけ。

 

「……ら。」

 

呟いた名前は、最後まで。

事切れた椎名を冷たく見下ろして、李は今度こそ本当に愉しそうに笑った。

 

「何でそんなに他人ばかり気にかけるのカナ。変な人たち。」

 

口から出た疑問は、本当に心の底からそう思うから。
他人ばかり気にして自分が疎かになっているのは、先程殺した彼も同じ。
このプログラム中で何を躊躇い、何を守り、何を怒る事があるのだろう。

 

「日本人ってワカンナイ。」

 

ふん、と溜め息にも似た吐息を吐いて、李は首を傾げる。

まぁ、でも関係ないか。

ぽつんと呟いて。

 

「どうせ皆殺しちゃうんだし?」

 

くすくす。

漏れた笑い声は、パソコンのディスプレイだけを光源とする、ほの暗い部屋に不気味に反響した。

 

   

   

  

  

  

  

  

  

《残り ― 11人》

  

  

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