29:想われるもの

 

 

 

辺りは暗く、重く、更に言えば静寂に満ちていた。
聞こえるのは自分の足音のみ。
その事実は自分以外に誰もいない証明にもなり、いくらかの安堵と激しい孤独をこころに植え付けた。
19時を過ぎたあたりで、静かな森の中、高山はコンタクトがなくなったときと同じように眉間に皺を寄せることになる。

 

(そんなに大きな島じゃなかと、すぐに逢えると高を括ったんが甘かったちゅーことか。)

 

探し人には未だに巡り会えない。
功刀の遺体から離れるのに随分と時間を有してしまったのが、もしかしたらいけなかったのかもしれない。
ぼやぼやしていると、後ろから手荒い喝を入れてくれる人間はもう自分にはいないのだ。

けれども。

どうしても離れ難かった。

例えもうその目は開かないと知っていても。
脈をうたない細い手首を握っていたとしても。
信じられない思いで胸はいっぱいになって、正常な思考力さえ奪っていく。
最後の最後、彼の紡いだ言葉は普段空っぽの彼の頭に遺言となって残っているのに。
また、目を開けて自分を見てくれるのではないかと。
あの声で怒鳴ってくれるのではないかと。
絶望的な望みを、あの時は抱いていたのだ。

思えば何と往生際が悪く、浅ましいことなのだろう。

それでも、放送が入れば死亡者を確認して、地図に印をつけて。
生きる為にできることは、もやが掛かった思考で何とかやっていた。
もうすぐ自分達のいるエリアが立ち入り禁止区域に指定されるまで、高山はそうやって時間を潰してしまったのだ。

 

それでも、あの時功刀を思い続けた時間は、無駄だったとは思いたくなかった。

 

 

「う、わッ!」

 

考え事をしながら歩くという行為は、危険を連れて来る。
例に漏れず高山も、泥水に足を突っ込んでしまい、顔から地面にキスをしてしまった。
ぺっぺっと口の中に入った青臭い泥を吐き出して、少し情けなくなる。
このまま誰とも逢えずにいれば、本当は一番良いのかもしれないなんて、頭の隅で思ってしまった罰かもしれなかった。
はぁ〜と脱力して、へたり込む。
功刀がいないだけで、こうも情けなくなれるものなのかと自問してしまった。

 

それから1時間程経っただろうか。

 

ふと支給された時計に目を止めれば、20時を示すところだった。
今頃自分たちがいた灯台の当たりは立ち入り禁止区域になってしまったことだろう。
功刀の亡骸もそこにある。
もう二度と、触れることはおろか、姿を見ることさえ叶わなくなってしまったのだ。
また、目頭が熱くなって、高山は強引に両目を擦った。

後ろ向きな考えばかりの自分は、自分であって自分ではなく。

いつもそこだけは誉められていた、「前向き」という言葉がこれほど似つかわしくない自分など許せず。

功刀が一生懸命に遺してくれた言葉を、風祭に伝えなければ何も始まらないし、終われない。

ぱん、と風祭がよくやるように両頬を両手で少し強めに叩くと、ほんの少しだけ、風祭の勇気を貰えた気がした。
泥だらけの身体を無駄に元気に動かして、高山は行く。
もう、振り返らない。

 

 

 

決意を新たに踏み出した足は、彼にささやかな贈り物を連れて来た。

 

 

 

見紛う事なき、愛し人の姿形。

聞き間違えるはずの無い、彼の声色。

 

高山の目に突然飛び込んできたのは、数十m先をこちらに向かって歩いてくる風祭の姿だった。

 

 

「かざまつり!!」

 

知らず、声を張り上げてしまう。

 

「風祭、風祭!」

 

夢中になって、彼の名前を呼んだ。

 

 

正面から来た風祭はその声に酷く驚いて、びくりと身体を竦ませたけれど。
殺意の欠片も無い高山に、ほっと強張らせていた肩を解いて、にこりと笑って見せた。

 

「高山、くん。」

 

こんな偶然が、果たしてあっても良いものなのだろうか。

今の現実が幻でないことを確かめるために、繋ぎとめておくために、高山は風祭に思い切り抱きついた。

 

 

風祭はやはり驚いて目を瞠ったけれど―――それでも次の瞬間には微笑みをその幼い顔に乗せていた。

 

 

 
「良かった、逢えて本当に良かったと。」

 

感激のあまり涙を両目に浮かべながら、高山は良かった、と繰り返す。
風祭はどうしたら良いものかとしばらく思案顔で高山の勢いを持て余していたが、あまりに良かったと繰り返す高山につられて、「うん、本当に嬉しいよ」と宥める様な言葉を選んだ。
大きな身体に小さな身体はすっぽりと包まれてしまい、些か息苦しい。
けれど自分の身体で高山が安堵を手に入れられるのであれば、それでいい気がした。
後ろで真田がふぅと大きな溜め息をつく気配がする。
ゲームに乗っているヤツかと思って、咄嗟に内ポケットに手が伸びてしまった。
まだ撃てる気はしないけれど、それでも、決意は風祭に会ったときより現実味を帯び始めている。
今ここにいない藤代の分も、自分が風祭を守ってやろうかと考えていたのだ。
それを聞いたら、風祭は激昂するかもしれないと知りつつも。

そして、「藤代の代わり」なんて、言い訳にしか過ぎないことも、知っていた。

 

「高山くん、泥だらけだね。」

「風祭なんか怪我だらけじゃなかとね!一体どうしたと…。」

 

ようやく離れた高山を見て呟いた風祭に、高山はぎょっと目を見開く。
自分より風祭の方がひどい。
どうしてこんなぼろぼろなのかと当然の疑問を口にした高山を、真田は睨んだ。

愚問だ、と。

そこで、ようやく高山は風祭の後ろに控えていた真田の存在に気が付く。
こちらを仇のように睨む瞳は、彼の人を彷彿とさせた。

「確か、東京選抜の……。」

ぶわっと湧き上がった郷愁に戸惑いながら、高山が真田に声をかける。
姿形が似ているわけではない。
けれど、強い光を宿す瞳は、功刀に酷似していた。
トレセンの時にも、確か「東京選抜にカズさんに似とう奴がおりますよ」と軽口を叩いた記憶がある。
名前は、思い出せない。
言いよどむ高山に、真田はきっぱりと自分の名を告げた。

「真田だ。お前は九州選抜にいた奴だよな?」

真田の方も試合で戦ったとは言え、人の名前と顔を苦手としていることもあり、高山のことをなかなか思い出せなかった。
風祭は高山、と呼んでいた。
高山―――試合中運動量の多かったあのDFか、と漸く合点がいく。

 

「お前は…乗って、ないよな?」

 

このクソゲームに。

 

確信と確認の意味をこめて尋ねれば、高山はとんでもない!と首を横に振りまくる。

「こんなのゲームじゃなかとよ!乗るわけなか!」

憤慨してそう言う高山に、真田はそうだよな、すまん、と短い謝罪を口にした。
それは用意されていたものであったけれど、高山には十分だった。
風祭も、剣呑な空気が溶けてふと笑う。

 

お互いにこれまでの事は聞かなかった。
何かあったことなど、その姿を見れば一目瞭然。
ただ、高山は功刀が死んだこと、死ぬ前に高山に風祭への伝言を託したことなどを話した。
穏やかだった風祭の顔が、ほんの少し曇る。

「僕に?…なんだろう。いいのかな、そんな大事な…。」

戸惑いと、恐縮と。

何故自分なのかという疑念と。

複雑に入り混じった表情を、高山は真っ直ぐに見つめる。

 

「他の誰でもない、風祭に聞いて欲しいかことばい。」

 

その視線は真摯過ぎて、風祭は面食らう。
そしてますます恐縮してしまった。
大した付き合いもなかった、けれど高山にとってはとても大事な人からの、遺言とも言える言葉。
重くて、つぶれてしまいそうだ。

 

「受け取ってくれんと、俺がカズさんに怒られると。聞くだけでいいけん。」

へにゃっと相好を崩して、高山は力無く笑う。
そんなに構えんでもよか、と安心させるように。
風祭も無碍にするわけにもいかず、じゃあ、と姿勢を正す。
その様子に、高山は嬉しそうに笑んだ。

 

 

 

「"死なんで欲しい”―――そう、カズさんは笑って逝ったと。」

 

 

 

短すぎる、最後の言葉。
珍しく神妙な高山の口から、功刀の想いは伝えられる。
想いの大きさに、風祭は知らず息を詰まらせていた。

 

(どうして。)

(僕なんかに。)

 

守られてばかりの弱い自分。
今また、お守りのような強い言霊を貰ってしまった。
どうして自分などがこんなに守られてしまうのだろう。

 

ぽつり。

 

「風祭?」

 

「…ありがとう、って僕からの伝言は、届かないんだよね…。」

 

届けられた想いに、届かぬ想いに、涙する。
何を返せるだろう。
居ない人に思いを馳せることしか出来ないのに。

「僕が死なないことが功刀さんの願いなら、頑張ってみる。」

誰かを殺すわけじゃない。

ただ、自分を殺さないだけ。

それだけでも、功刀は良しと笑ってくれるのだろうか。

 

「…ありがとう、な。風祭。」

 

ぐしゃりと顔を崩して、高山も泣く。

カズさん、見ていてくれますか。
貴方の言葉はしっかりと風祭が受け取ってくれました。

(俺が風祭に逢うことが出来たんは、カズさんがどこかで見ていてくれとったからかもしれんね?)

 

 

偶然か。必然か。

どちらでも良いと思った。

 

だって今風祭は自分の傍に居て、功刀の言葉を受け取ってくれて。

それだけで、もう。

 

 

涙する2人に、真田は何も告げられずに立ち竦む。
かける言葉が無かったのもそうだったが、「また」という思いの方が強かった。

また、風祭は守られる。

自分の事は棚に上げて、真田は思ってしまった。
あんなに自分を過小評価している風祭。
藤代が自分を何故守るのか、分からなかった風祭。
きっと今も「何故」をこころの中で繰り返していることだろう。

 

 

早く、風祭がこころから笑えるときが来ればいい―――

 

 

神に願ったのか、仏に願ったのか。

それとも風祭を思って死んでいった者たちに願ったのか。

 

真田は痛みを表情に乗せて、困ったように口の端を上げるだけだった。

 
 

   

   

  

 

  

  

  

  

  

《残り ― 12人》

  

  

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