23:別人のような眼差しで

 

 

 

ひたすら逃げて、行き着く先は。

 

 

6回目の放送が終わった。
西園寺が軽やかに発表した死亡者は、たったひとりだけ。
彼女の声にも、残念そうな響きが見て取れる。
スピーカーのスイッチを切った音が、幾分乱暴に聞こえたのは、その苛立ちからだったのだろうか。

 

 

(鳴海、か……。)

 

『鳴海貴志』の黒い文字の上に、きゅ、と小気味良い音を立てて赤線を引っ張る。
次第に赤で染まっていく名簿。
それを見て、生きている自分がとてもずるい人間に思えてきてしまうのは、何故なのだろうか。
殺そうとしないからか、死のうとしないからか。
草葉の間に身を隠しながら、真田は盛大な溜息を吐いた。

今回の死亡者は東京選抜のチームメイトだった鳴海。

彼には悪いが、付き合いの浅い―――と言うより全くと言っていいほどない―――鳴海が死んだところで、真田にとっては大したダメージにはならない。
疎ましくさえ思っていた程の相手だから、当然なのかもしれないが。
だからと言って、彼の死を喜ぶ気にはなれないのは、自分にまだ良心が残っている証?
そう考えてみると、その通りのような気がして、一瞬、ほんの一瞬だけ、口の端に笑みが零れた。

 

そんな6回目の放送は、真田にとってはどうでも良い。
一番痛かったのは5回目の放送。
水野の名前が呼ばれた、あの瞬間の言いようのない混沌とした気持ちを言葉に表すことは難しくて。
とにかく痛くて、泣きそうになった。

けれどそれは、きっと水野の死を悼んでいるわけではなく。
彼を殺した、郭を思い出してしまう自分が可哀想なだけなのだ。
親友が殺人を犯した証を突きつけられているようで、辛いだけなのだと、真田は自分なりに理解していた。
同時に殺人犯と間違えられている自分が、割に合わないと少しの憤り。
荒んでいく自分の心が、心底嫌になるけれど。

(プログラムはこうまでも人の心を蝕んでいくのか…。)

時間の経過ともに、こころが麻痺していくような感覚。
けれど、それもどうでも良いことのような気がして、地図と名簿を鞄にしまいこんだ真田は、緩慢な動作で立ち上がった。

 

 

しばらくの間は何も考えずに、ゆっくりと歩く。

 

 

放送がなされる少し前までは、後ろから藤村が追ってきているかもしれないと言う恐怖感からずっと早足で山を駆けていたが、途中で疲労と諦めからスピードを落とし始め、ついには散歩でもしているかのような速度でのんびりと歩き出してしまった。
一心不乱に走っている内に、捕まっても別にいいや、という諦めの感情が湧き始め、一度そう思うと何もかもがどうでも良くなってしまう。
死にたい訳ではないけれど、特に生きたい訳でもないような気がした。
若菜や風祭と逢いたいと言う気持ちは少しもなくなっていないのに、自分の生に対する執着心が異様なほど薄れてきている。

感情的だと言われる自分が、一体どうしたことなのだろう。

ぼんやりと流れる緑を曇った瞳に映して、ふと思う。
葉に残っている露が綺麗だとか、緑が心地良いだとか。
普段だったら、そういう事を感じそうなものなのに、今の自分は何を見ても何の感想も抱かない。
感情の起伏がなくなれば、結果的に自分自身に対する興味もなくなっていくものなのか。
ああ、でもそうなると、いつも表情をあまり変えない友人は、常に、生きることに対して希薄な感情しか持っていないことになる。
おかしい。
先程出逢った郭は、生きようとしていなかったか?
『誰か』を殺してまで、生き残ろうとしていなかっただろうか?
考えれば考えるほど混乱してきて、結局真田はその疑問を解決させないまま、投げ出してしまった。

 

 

 

少し歩くと、鬱陶しい森が次第に開けてくる。
抜けた先に広がるのは、青い空。
包み込むような青に心が緩んで、緊張していた身体がゆっくりと解けていくのを無意識に感じた。
膿んでいた心が少しクリアになった気がして、ふ、と短く息を吐く。
窪んだ崖から下を覗き込めば、今度は海の青が広がって。
遠くを見渡せば、海と空の境界線がくっきりと綺麗に分かれているのが見て取れた。
ここまで晴れ渡った空も珍しい。
短時間とはいえ振った雨が謝罪のように残していった、気持ちの良い青空。
同じ青なのに、空と海の微妙に違う色合いが何だか面白い。
先程より更に速度を落として、真田は崖沿いを歩いた。

 

少し歩くと、大きめの東屋が見えてくる。
歩きすぎて疲労もたまっていた真田は、そこで一服しようと大した用心もせずに近付いた。
そうして無防備極まりない状況で近付いたものだから、ふと気紛れのように向けた視線の先が崖になっていることに気が付くのが遅れる。
更にその崖の端に人影を認めた時は、些かギョッとしてしまった。
誰かが、座り込んでいる。

反射的に、内ポケットに入れた支給武器のTOKAREV TT-33に手を伸ばしてしまう。
―――撃つ勇気は、まだ、沸いてこないけれど。

 

じり、と間合いを詰める。
逃げ出しても良かったのだが、何かが引っかかって、真田はその人影を無視することができなかった。
色褪せた世界の中で、何故かその人物はだけははっきりと鮮やかな色を保っていて。
その色彩に、心が騒ぐ。

落ち着かない気持ちを抱えたまま、崖の人物に近寄っていく。
彼は真田の存在に気付いていないのだろう。ピクリともしない。
崖下を見つめるように俯いたままだ。
背後から回り込んで横に移動し、相手の顔を確認する。
その、横顔には見覚えがあった。
ぼやけた輪郭が浮かび上がってくるにつれて、真田の表情は見る見る内に変わって行く。
そこに浮かぶのは驚愕と、歓喜と、安堵と。
色々な感情が喉元までせり上がってきて、「あ」と短く驚きの声を上げてしまった。

 

近距離の声に、相手はもちろん気付いてしまい。

ゆっくりと顔を真田の方へ向けた。

緩慢な動きで焦点を真田に合わせ、不思議そうに瞬く。

 

 

 

 

「…真田、くん?」

 

 

 

「……かざ、まつり……。」

 

 

 

探していた人物のひとり―――風祭将。

 

そこにいたのは、確かに、彼だった。

 

 

 

しかし、真田は違和感を覚える。

 

(……風祭ってこんなに小さかったか?)

 

身体的なことではないのかもしれない。
座り込んで見上げてくる瞳には、あの、人を惹きつけてやまない、いつものような強い光が宿っていなかった。
昏く塗り潰したような、死んだ魚のような瞳をしている。
その表情に、感情は読み取れない。
頬に傷跡、こめかみからは血が流れた道が続き、首には首輪に隠れて締め付けられた跡が残っていることから、何かが彼の身に起こったことだけは推測できるのだが。
それを直接尋ねるほど、真田は不躾ではなかった。
しかし、そうは言っても。

―――動揺はする。

 

「…よく、生き残れたな。」

 

心が乱れたせいで、ついいつもの調子で口調がきつくなってしまう自分に舌打ちをして、真田は風祭の傍に一歩近付く。
風祭は真田が動いても、何のアクションも返さない。
ぼうっと自分の方へ寄って来る真田の動きを見つめているだけだ。

このとき真田は、『殺されるかもしれない』という懸念をすっかり失念していた。
それは『風祭だから』なのか、『死んでもいいから』なのかは定かではないが、少なくとも、彼が風祭に対する疑いの念を一欠けらも抱いていないという事だけは確かで。
1mほど風祭と距離をとったところで足を止める。
座り込んでいる風祭を見下ろす形で見つめると、風祭は困ったように首をほんの少し傾げた。
その動作は、ひどく遅い。

 

「うん……。僕の力じゃ、ないけど。」

 

真田を見上げ、そう微笑む風祭は、やはり、小さく見えた。

儚げな空気を纏って。

今にも消えてしまいそうで。

存在自体が夢のような、そんな痛みを伴う切なさを真田に与えてくれる。

それは目の前にいる風祭はもしかしたら自分が作り出した幻覚なのではないかと真田が思ってしまうほどに。

しかし現実に彼はそこにいる。

微笑を称えて、彼は口を開く。

 

「藤代くんが、始まってからずっと傍にいて守ってくれたから。」

 

大切そうに優しさで包んで藤代の名前を呼ぶ風祭。
藤代のことを一方的とは言え、ライバル視していた真田には当然面白くなかったが、風祭の様子があまりにもおかしいので、そちらの方まで考えが回らなかった。
さっきから一生懸命に探しているのに、元気の代名詞のような、いつものタフで明るい風祭の面影が、真田にはどうしても見つけられない。
元気がないのは明らか。見れば分かる。
けれど、教室で見せたこちらにまで伝わってくるような、激しい恐怖を抱えているわけでもないのだ。

 

一言で言えば、静寂。

風祭の周囲は、とても静かだ。

何も、感じられない。

 

 

「…で、その藤代は?」

 

真田は見たことのない風祭の様子に挙動不審になりながら、最もな質問をする。
してから、しまった、と後悔した。
あの藤代が、何もないのに風祭から離れるわけがない。

思った通り、藤代の所在を尋ねると風祭は表情を翳らせた。
それでも、やはり、彼を包む静寂は破れない。
空気でさえ音を立ててしまいそうな、そんな雰囲気を醸し出して、風祭は切なげに笑った。

 

「僕を、守ろうとして、崖から落ちちゃった。―――鳴海と一緒に。」

 

「鳴海?」

 

さっきの放送で、確かに呼ばれたその名前。
ひとりしか呼ばれなかったから、忘れるはずも、勘違いするはずもなかった。
しかし藤代の名前を、西園寺が紡いだ記憶は見つからない。
ということは。

 

「…藤代は、まだ生きているんだな…。」

 

 

ぽつり。

 

 

真田が何気なく呟いた言葉に、風祭は大袈裟なくらいビクリと身体をはねさせる。
そして、驚愕に大きな瞳を見開いて、真田を凝視した。
その様子に真田の方が怯んでしまう。

……なにか、悪いことを言っただろうか。

 

 

 

「う、そ。藤代くん、まだ、生きて、る?」

 

 

 

真田を見つめたまま、乾いた声で風祭は独り言のように呟く。
こくりと首を縦に動かすことで、風祭の疑問を真田は肯定してみせた。
すると、風祭はホッと微かに笑う。

 

 

「よか、った…ァ…。」

 

 

そんな声と共に溢れ出したのは、透明な涙。

 

 

そこには確かに感情が存在していて。
先程まで希薄だった風祭の存在が、涙によって密度を増していく。
鮮やかな色彩は、淡くはっきりと輪郭を取り戻して。
ホッと、今度は真田が安堵の息を吐いた。

 

 

 

 

「1回、放送聞き逃しちゃったんだね、僕。」

自分を取り戻した風祭は、時計を見て呟く。
藤代が死んでしまったと思い込んで、茫然自失となっていた彼の世界には、音と言うものが存在していなかったらしい。
どのくらい時間が経ったのか思い知らされて、風祭は溜息をついていた。
馬鹿みたいだ、と自嘲を含めた笑みで吐き捨てて。
しかしすぐに表情を引き締めて、東屋に残っていた自分の荷物と藤代の荷物を持って、歩き出そうとする。
そんな風祭を、真田は呼び止めた。

「風祭、もう一個はいらないのか?」

支給されたバッグがもう一つ残されているのを見つけて、背を向けかかっている風祭に問う。
それは鳴海のものであるのだが、それを真田は知らない。
何気なく目に止まったから聞いてみただけだ。
真田の疑問に、風祭は動きを止める。
しかし、振り返らない。

「…いいんだ。それは、いらない。」

背中で、風祭は呟く。
それは怒っているようでもあり、憐れんでいるようでもあり。
痛々しい姿に真田は何も言えなくなって、そっと風祭の後を付いていったのだった。

 

 

「僕を守ろうとして、藤代くんは何度も危険な目に合ってるんだ。」

考え方を変えるとひどく傲慢に聞こえる台詞も、風祭が言うと切なさで溢れていて、聞いている真田の方が悲しくなる。
風祭の横を歩きながら、真田はふと顔をしかめた。
他人の痛みが伝わってくるのは、当人でないだけに苦しい。
心の底から辛いと訴えているのに、その原因が真田にはわからないのだ。
伝播する感情は、その理由までも連れてくるわけではなく。
ただ、ひたすらにやるせない想いが伝わるだけで、訳の分からない焦燥感に駆られてしまう。
けれど、やはり、どうして自分がそう思っているのか、理由が掴めない。
同情なのか、とも思う。
もし、そんな安っぽい感情なら、いらない。

「どうして、藤代くんは僕を守ろうとするんだろう。ひとりでいた方が動きやすいのに。」

独り言のように、風祭は続ける。
情けない笑顔を浮かべて。

守られる者の辛さ。

それを、風祭は今感じているのかもしれない。

答えを提示することを、真田はこのとき躊躇した。
言ってやれば、風祭はいくらか安心するのかもしれない。心の重りを軽くしてやることができるかもしれない。
けれど、それを言ってしまうのは、藤代を裏切ることになってしまうのではないだろうか、と。
どこまでも純粋な天才エースストライカー。
彼が抱える深い想いを、風祭にまだ直接告げていないのだとしたら。

―――他人からそれを告げてしまうのは、あまりにも残酷だ。

 

「…誰だって、友達を守りたいと思うもんじゃねぇの?」

 

結局出たのは、ありきたりの芸のない言葉で。

若菜や郭辺りだったらもっと良い事言ってやれるんだろうな、と真田は不器用な自分が情けなくなった。
「鳴海だって、友達だった。」と、風祭が呟けば、もう言ってやれることがなくなってしまう。
いつも、アドリブがきかないのだ。
慰められるのは慣れているのに、慰めることにはひどく不慣れで。

(情けない……。)

気になる相手を、満足に慰めることすらできないなんて。
重い足取りを更に重くして、真田は沈黙に徹することにした。

 

 

 

 

 

 

 

《残り ― 14人》

  

  

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