20:誤算

 

 

 

アンタの為なら、この命さえも惜しくはない。

本当だぜ?

 

 

「……どういう意味だよ?」

鳴海の質問に、藤代はピクリと表情を動かす。
けれど、人懐こい笑みはそのままだ。
いつもと変わらない笑顔を目の前に、鳴海の背筋には悪寒が走っていた。

―――何だ?この寒気は。

 

「どういうって、そういう意味だよ。おめーからは罪悪感とかそういうの全然感じらんねーし。……マジで乗ってねぇワケ?」

及び腰になっていることを悟られないように、いつも以上にきつい目付きで正面から睨む鳴海を、藤代は相変わらずの笑顔で面白そうに見つめていた。
言葉に出来ない圧迫感に、鳴海は息を呑む。
杉原もそうだけど―――笑顔自体がポーカーフェイスになるような奴はろくな奴がいねぇ。
心の中でポツリと零して、彼は心底参って頭を掻いた。

 

大体、どうして、藤代はあんなに風祭にこだわるのだろう。

 

チビだし、トロイし、八方美人だし。
サッカーに真っ直ぐな純粋さは少し認めてやっても良いけれど、藤代が入れ込むには決め手に欠ける気がした。

愛想の良い外面に騙される輩が多いが、藤代が本当に認めている人など数えるほどしかいない。
鳴海自身、多分認められていないだろう。
付き合いがあるせいで、そのくらいは分かるようになってしまった。
表面上何もないように振舞える分、彼の本心は激しく複雑だ。
「藤代は笑って接してくれるから、自分は好かれているのだ」、などというのは勘違いも甚だしい話。

そんな藤代が気に入っているのが、特に何の特徴もない風祭。
ずば抜けた才能があるというわけでもない。ごくごく普通の中学生だ。
渋沢のように全てに秀で、尊敬できる部分も多々ある人物なら鳴海も納得できる。
けれど藤代は渋沢ではなく、風祭を盲目的とも言えるほどに好いている。

―――何か、あるのだろうか。

風祭には、自分にはわからない『何か』が。

 

藤代の隣ですやすやと眠っている風祭に思わず視線を移す。
選抜の中にも風祭を慕うものは多い。
けれど、やっぱり、その理由は鳴海には分からない。

 

(ま、そんなこと俺にはどーでもいいことだけどな。) 

 

答えの出ない問を自分に課したところで、それは徒労というものだ。

それより今は。

もっと考えなくてはならないことがある。

 

 

「…何だよ、急に黙って。」

突然降りた沈黙に、藤代が怪訝そうに顔をしかめる。
すると、鳴海は「べっつに?」とおどけた返事をした。
両手を頭の後ろで組んで、東屋の椅子では余ってしまう足をだらしなく組みなおす。
話を打ち切った様子の鳴海に、藤代はしばらく疑惑の眼差しを送っていたが、やがて興味を失って徐に地図の確認を始めてしまった。
また、静寂が訪れる。

 

人の声がなくなると、聞こえてくるのは自然の息吹。
どこからともなく響く微かな小鳥のさえずり、風に揺れる木の葉の音、波の呟き。
耳に心地の良い音ばかり。
銃声、悲鳴―――そんなものはひとつも聞こえてこない。
思わず今自分がどんな状況に置かれているのか、忘れそうになる。

「ちょっと、トイレに行ってくんな。」

柄にもなく感傷的になったところで、鳴海はそう言って椅子を立つ。
藤代の反応はこくりと首を動かす程度の弱いものだったが、鳴海は気にせずに東屋を後にした。
朝の光があちらこちらに零れていて、視界はすこぶる良好だ。
鼻歌を歌いながら去っていく鳴海の姿を―――いつの間に顔を上げていたのだろうか―――藤代が何とも言えない表情で見つめていた。

 

 

「ん……。」

鳴海が去ってから数分もしない内に、身じろぎをして風祭が目を覚ます。
彼はぼんやりと目の前を見つめて、だんだんとクリアになっていく視界をどこか他人事のように認識していた。
隣の藤代がぱちくりと目を瞬く。

「風祭?もっと寝てても良いのに。」

地図を鞄の中に押し込んで風祭に向き直ると、藤代は自分でも少し怖いくらいの優しい声でそう言う。
きっと、笑顔もこの声くらいに柔らかいものになっているのだろうと思うと、ちょっと気味が悪かった。
そんな藤代の心の中の苦笑も、しかし、風祭には届かない。
風祭はしばらく認識するように焦点の合わない瞳で藤代を見つめ、何度か瞬きをする。
そして、

「ごめんね、おはよう。」

と、控えめに笑った。

 

 

その時だった。

 

 

風祭の背後から大きな音を立てて何かが飛び出してきたのは。
ヒュッと風を切る音がしたかと思うと、その物体は風祭の左側のこめかみを強打し、また草の中に消えていく。

「いつっ…!」

痛みに風祭が強打された部分を手で押さえるよりも早く、また後ろからその物体が飛び出してくる。
しかし今度はどこをも叩くことはなく、風祭の首に巻きついてきた。
ジャラリと鳴る金属音、首から直に伝わってくる冷たさ、左こめかみの鋭い痛みに、風祭は瞳を眇める。
それに構うこともなく、巻きついた物体は情け容赦なく風祭の首を締め上げた。
思わず短い悲鳴を発する。

「風祭!」

藤代が血相を変えて風祭に駆け寄ろうとするが、草の中から伸びてきた拳に左頬を殴られて、向かいの椅子に吹っ飛んでしまう。
角に頭をぶつけて、どろりと血が流れた。

 

「らしくねぇなァ〜。」

 

言葉の中に仄かに嘲りを匂わせて。
風祭の首を締め付けている人物が顔を覗かせる。
鮮やかな緑の隙間から現れたのは、先程まで空間を共有していた―――鳴海だった。

「鳴海、お前…!」

ぐい、と血を拭って、藤代は立ち上がる。
内ポケットに入っている銃に手を添えて。
その動作を見て、鳴海はクク、と喉の奥で笑った。

「撃つかぁ?俺を?間違ってチビすけに当たっちまうかもしんねぇのに?」

言いながら、締め付けている鎖に力をこめる。
細い喉が圧倒的な力に圧迫されて、風祭が苦しそうにうめいた。
左こめかみから流れる血に、その苦悶の表情に、藤代の動きが止まる。

「撃たねぇよな。お前は。―――全く、こんなチビのどこがいいんだか。」

さっぱり分かんねぇ。

吐き出すように呟いて、鳴海は少し力を緩める。
すると、ほっとしたように風祭の表情が和らいだ。

「何がしたいんだよ、鳴海。」

内心の動揺を悟られないように、藤代は慎重に言葉を選ぶ。
そのせいで、彼の言葉にはいつもより力がない。
重みよりも鋭さが際立つ藤代の声を、鳴海はにやりと人の悪そうな笑みを浮かべて聞いていた。

分かるさ。お前が今、どのくらい焦っているかなんて、手に取るようにな。

 

「取引しようぜ、藤代。お前の持っている銃をこっちに寄越せ。」

「そしたらチビすけ離してやるよ。」

 

いやらしい笑いの下に隠れた本音に気付かないほど、藤代が純粋であるはずもない。
けれど、この状況で逆らうほど愚かでもなかった。
それでも、譲れないものはある。

「……分かった。けど、風祭を離す方が先だぜ。風祭を離したら、こんな銃くれてやる。」

「おっと、それはできねぇな。コイツ離したらお前、俺のこと躊躇いもせずに撃ちやがるだろう?銃が先だぜ。」

 

―――お前こそ、この銃を手に入れたらどうせ風祭と俺を殺すくせに。

 

憎々しげに心の中で毒づいて、それでも藤代は銃を取り出して鳴海に差し出そうとする。
何より優先されるのは風祭。
約束は信用できないけれど、何もせずに風祭が殺されて、自分が生き残るよりはずっと良い。
(どうせ死ぬにしても、守って死にたいし。)
自分の考えにふと漏れた苦笑を、藤代は自覚していたのだろうか。

「はい、どーも。」

手の平にずしりと感じる重みに、鳴海はほくそえむ。
それよりも、悔しげにしている藤代の表情の方が見物だった。
常に余裕を持って暮らしている藤代。サッカーで同じポジションだったために何かと接する機会が多かった男だ。
天才、そう言われることも珍しくない存在。
鳴海にとっては尊敬できる相手というよりも、切磋琢磨して互いを磨いていくような、仲間意識の強い相手だった。
けれど、彼の中にある自分の存在は果てしなくゼロに等しい。
悔しいではないか。

「藤代もこれでリタイアだな?情けでチビすけは助けてやるけどよぉ…お前を助けるなんて、一言も言ってないもんな?俺。」

風祭の首に巻いた鎖は今だそのまま。鳴海の力加減ひとつで風祭の首は簡単に折れてしまうだろう。
勝ち誇ったように自分に照準を合わせる鳴海を、藤代は冷めた瞳で見つめていた。

―――醜い。
間宮のときも感じたことだが、生にしがみつこうとする人間の姿は醜悪で滑稽だ。
ひどく、汚い。

 

「……何だよ、その目は。」

「何だよ、って言われてもな。元々こういう目だし?」

「お前状況分かってんのか?ちょっと引き金を引けば頭が飛ぶんだぜ?」

「分かってるってば。さっさとやれば?」

「……ッ!死ね!」

 

小馬鹿にしたような藤代の態度に切れて、鳴海は手に持った銃の引き金を思い切り引く。
銃声が上がった。
しかし、藤代に新たな傷は付いていない。

「風祭!」

―――ッこのチビ!」

鎖を首に巻きつけたまま、風祭が鳴海の右手を思い切り蹴り上げたのだ。
逸れた銃弾は東屋の屋根に命中して焦げ臭い匂いを放っている。

「何でだよ鳴海!さっき、乗ってないって…!」

酸素不足の為に瞳に涙を浮かべて、風祭が叫ぶ。
涙が出るのは、きっとそのせいだけではないけれど。
態度は尊大で傲慢なところがあるけれど、人の良い鳴海が藤代や自分を狙っている理由が分からなかった。人を殺そうとする理由が分からなかった。
さっきまでは普通に話していたのに。

 

「何でって言うか?バッカじゃねぇ?これはゲームなんだ。一人しか生き残れないゲーム。」

「俺は―――死にたくねぇんだよ!」

 

もう一度。

今度は風祭に向かって銃を構える鳴海だが、その銃弾も床に当たって標的には当たらなかった。
鳴海が発砲するよりも早く、藤代が跳び蹴りを鳴海の顔面に叩き込んだから。
その勢いのまま、2人は東屋横の草むらへと突っ込んでしまう。
鎖を乱暴に引き剥がして、風祭も2人の後を追った。

 

転がったときに、銃は鳴海の手から離れてしまったらしい。
勢い余って崖付近まで来てしまった2人は、肉弾戦を繰り広げていた。
上になり、下になり、相手を容赦なく殴る。
最終的に上を取ったのは、鳴海だった。

「力で、俺に、勝てるわけ、ねぇだろーが!」

バキ!

顔面に一発入れる。
さすがに効いたのか、藤代がくぐもった声を上げた。

(さすがにダメかもな……この馬鹿力、甘く見てたぜ……。)

何度も入れられる渾身の力をこめたパンチに、藤代の意識も朦朧となる。
撲殺なんて、カッコワリィ。
しかも相手は鳴海かよ。
合間を見て何発か殴り返しはしてるものの、このままじゃヤバイな。

俺は―――死ぬのかな。

 

 

――――――ッ藤代くん!!」

 

 

悲痛な叫びが聞こえたのは、その時。
絶壁に響く、少年にしては少し高めの声。

 

 

――― 風祭。 ―――

 

 

「んのやろッ……!」

鳴海の喉元を目掛けて、藤代は拳を繰り出す。
すると、突然与えられたあまりの衝撃に激しく咳き込んでしまったせいで、鳴海の力が緩んだ。
その隙に、藤代は上に乗っている相手を引き寄せ、自分は身体を起こす。
そうすると、必然的に位置が上下反転した。

一瞬の間に、立場は逆転する。

未だに咳き込む鳴海を見ながら、藤代は考える。
助けるべきか、否か。
きっと鳴海も自分も、体力はほとんど残っていない。今は拳を振り上げるのすら、億劫で仕方がなかった。
けれど、致命傷はどちらも負っていない。
顔が醜く腫れ上がってしまってはいるけれど、この腫れもしばらく冷やしておけば引くだろう。
しかし、どうする。
一度自分に牙を向いた人間を、許せるだろうか。

懸命こちらに向かって走ってくる風祭を見て、藤代は思う。
一瞥しただけで分かってしまう、彼の可愛らしい顔を縦断する赤い血の流れと、青く残る首の鎖跡。
痛々しい。
思わず顔をしかめてしまう。
そして、あっさりと結論は出た。

 

「藤代くん!」

やっともう少しで彼に届く。
顔が辛うじて判別できるくらいの距離になって、風祭はふと全力で駆けていた速度を緩めた。
それは安心したせいだったのだろう。
どちらも息をしている。生きている。
緊張が緩んだ身体は、今にもその場で崩れてしまいそうだった。
しかし力を入れて、また走り出す。
近付くにつれ、藤代が風祭に向かって微笑みかけていることがはっきりとしてきた。
朝日を浴びて、その笑顔はいつも以上に眩しく、思わず目を細める。
映える顔にあちこち赤く、青く痣が刻まれているのがもったいない。

 

「藤代く…。」

 

 

「生き残れよ、風祭。」

 

やっぱり、お前を傷つけた奴を、許すわけにはいかねーってな?

 

 

風祭が手を伸ばそうとしたその刹那。

藤代は軽く笑って、残った力全てで地面を蹴り、鳴海ごと崖から転がり落ちた。

 

それは本当にあっという間の出来事で。

 

「嘘……。」

伸ばした手は空を切る。

「何で、」

行き場のない手の背景に映るのは、空と海によってもたらされる鮮やかな青。

「どうして、」

耳に届くのは何かがぶつかって落ちていく、鈍い音。

「ねぇ、」

その音も次第に遠ざかり、聞こえなくなる。

「……ッ!」

そして残るのは。

 

 

「藤代くん――――――――――――――――――ッ!!」

 

 

悲しい、絶叫だけ。

 

 

 

 

 

 

出席番号22番 鳴海貴志 死亡

《残り ― 17人》

  

  

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