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断続的に降る雨が、彼の悲しみも一緒に洗い流してくれたらいいのに。
『―――以上です。そろそろ暗くなってきますから、皆さん背後からの不意打ちなどには十分注意を払うように。健闘を祈ります。』
西園寺の声は心なしか少し眠そうだった。
今までの放送では喜々とした色を発していた声は、今回は怠そうに沈んでいる。
彼女も教え子達同様、あまり寝てはいないのかも知れない。
教官というのはその役割がどうであれ、やはり大変な立場には違いないのだろう―――そう考えて、しかし、自分には全く関係ない上、興味もすぐ失ってしまったので、考えるのをやめた。
禁止エリアを書き込んで、目の前で固まってしまっている人物へと目を向ける。
大きな瞳を目一杯に開いた表情のまま固まっている彼。
弱々しいながらも時折微笑んでくれていた彼の表情を奪ったのは、西園寺の眠そうな声で発せられるこの時間の死亡者の名前だった。
不破大地。
その名前を聞いた瞬間、風祭は名簿を凝視したまま動かなくなってしまったのだ。
第二回の放送の時もそうだった。
小岩の死を聞いた風祭は今までにないほど狼狽えた。
なにも慌てふためいて取り乱したわけではない。
一点を凝視したまま、動かなくなってしまったのだ。
藤代がいくら呼びかけても反応しようともせず、ただただ、名簿の小岩の名前を見つめていた。
奇妙な感情が走って藤代はつい、風祭の肩を強く揺らして、強制的に意識を自分に向けさせたのだが、顔がこちらを向いても、瞳は一体どこを見ているのか分からない程に暗く澱んでいた。
いつもの、明るい光が宿っていない。
「風祭」と藤代が声を掛けても、おざなりな返事すら返ってこない。
風祭は泣かない。
けれど、その様子が涙よりも痛々しくて、藤代は思わず彼を抱きしめた。
無意識化のことで力の加減が出来なかったため、しばらくして風祭が息苦しさから短く声を上げる。
それでようやく藤代は風祭を解放した。
目を合わせた風祭は、少し表情がぎこちないものの、もういつもの風祭だった。
ホッと安堵のため息が漏れる。
「大丈夫だよ」と微笑む風祭に笑顔を返して、風祭の腕を握ったまま立ち上がると、当然のように風祭も立ち上がった。
「―――頑張ろうぜ」そう言えば、「うん」と柔らかい返事が返ってくる。
とりあえずそれで持ち直したはずだった。
(タイミングが悪いんだよなァ…。)
小岩の死が発覚してから、まだ6時間しか経っていない。
そこへ、また風祭にとって大事な友達―――こう言うと語弊があるかも知れない、彼は誰が死んでも悲しそうな顔をするから―――不破の死が発表された。
その衝撃はいかほどの物なのだろう。
そういう感情が希薄な自分には到底分からない。
ただ、どうしようもなく、やるせない感情は隣にいて流れ込んでくるから、それだけは共有してみようと思った。
……あまり成功しなかったけれど。
今度も風祭は泣かない。
全ての機能を停止させてしまったように動かないだけ。
その隙に、藤代は風祭のマップに今発表された禁止エリアを書き込んでいく。
もう一つで書き終わる、と言うところで、風祭の薄く空いた唇から吐息のような声が漏れた。
「……藤代くん。」
その声に、何、と簡単に返事を返しながらマップも返す。
相変わらず瞳はどこを見ているのか分からない。
藤代を見ているはずなのに、その焦点は限りなく遠いように思えた。
ざわりと苛つきにも似た感情が藤代の中で揺れる。
「僕の聞き間違いじゃ、ないのかな…。」
何が、とは言わなかった。
そこまで愚鈍じゃない。
「……耳、おかしくなったんじゃないかって、言って欲しいのか?」
目で笑わず、口元だけで嗤った。
すると風祭が困ったように表情を歪める。
泣き出しそうな、笑い出しそうな、怒り出しそうな、複雑な色が混じった微妙な表情だった。
トボトボとさっきまでとは比べ物にならないほど遅いペースで、しかし、相変わらず危なっかしい風祭の後ろに藤代が付く形で雨の山を登る。
放送までは上がっていた雨が今になってまた降り始めたので、視界はお世辞にも良いとは言えない。
むしろ最悪だ。
その中でも風祭はキョロキョロと首を動かすこともなく真っ直ぐ進む。
きっと何も見てない。
10m先が崖になっていようが、今の風祭は気にしないで直進するだろう。
それはそれで構わない、と藤代は思う。
彼が落ちそうになったら、自分が引っ張り上げればいい。
ただ、それだけのことだから。
しかし風祭は危険な場所に足を踏み入れることなく、島民が設置したであろう東屋に辿り着いた。
藤代が休憩を申し出れば、それに抗うことなくコクリと頷く。
実際、風祭の息は上がっていた。
混乱した感情のまま歩き続けたせいだろう、その分疲労も早く溜まる。
逆に藤代は大して疲れていた様子もなかったが、後ろから見ていて時折ふらつく風祭が心配だったのだろう。
休憩だと大袈裟に喜ぶ藤代をふわりと笑って見つめる風祭に、彼は心の中でひどく安堵していた。
東屋に近付いていくと、奇妙な臭いが鼻を突いた。
死臭、ではない。
腐ったと言うよりも、日常生活の中で幾度と無く嗅いでいるような、そんな身近な匂い。
藤代が首を傾げると、その横にいた風祭も軽く首を傾げた。
思い出せないものの、そんなに強くは匂ってないため、大して気になる匂いでもない。
とりあえず無視する事にして(雨で濡れた葉の匂いじゃないか、と言うことに落ち着いた)東屋の中を覗き込むと、ゆったりと誰かが長椅子に寝そべっているのが見えた。
一瞬ギクリとして、自然にポケットに入れたLUGERへと手が伸びる。
その様子に後ろにいた風祭も身体を強張らせ、息を飲んでいる。
注意深く、相手に近付いていく。
余程深く寝ているのか、相手は微動だにしない。
怪訝に思ってその顔を覗き込むと、予想だにしなかった顔にかち合う。
不意打ちの衝撃に、藤代はひゅ、と一瞬息を飲んだ。
「あ」
声を出してから、しまった、と口元を覆う。
思った通り、風祭が眉間に皺を寄せて藤代を見上げていた。
その視線を苦笑でやり過ごして、とにかく東屋の外まで引っ張っていく。
抵抗はなかったが、瞳は藤代を胡散臭げに見つめたままだ。
「…誰がいたの。藤代くん。」
詰め寄るように尋ねる風祭に、藤代は躊躇した。
言って良いのか、それとも素知らぬフリしてここを早く離れた方が良いのか。
断然後者を選びたかったが、風祭の強い視線がそれを赦さなかった。
ふ、と息を吐いて落ち着いてから、藤代はきり、と表情を引き締めた。 「何を聞いても、見ても、取り乱さないって約束できるか?」 試合中にも滅多に見られない真剣な表情に、風祭は反射的に頷いてしまう。
普段、ニコニコとしている朗らかな印象しかない藤代だけに、こういう真面目な表情をされると変に緊張してしまう。
ぎゅ、と唇を噛んで、風祭はこれから来るであろう言葉の衝撃に備えた。
それを見て、藤代が徐に口を開く。 「―――破……」 あまりの声の静けさに、風祭は聞き取れなくて首を傾げる。
その様子に、藤代は今度はハッキリと声を発した。 「不破が、いる。」 風祭を中に入れるのを拒むように東屋の出入り口に仁王立ちしている藤代の顔を、風祭は思わず呆けた表情で見つめてしまう。
何を言っているんだろう、彼は。
ハッキリと聞き取ったはずなのに、もしかしたら自分の聞き間違いだったかも知れないなどと疑ってしまうような単語を、藤代は言った。
不破。
彼がそこにいると、感情が読み取れない表情で言い放つ。 「…はは…趣味の悪い冗談…。」 乾いた笑いしか出てこない。
不破はさっき放送で名前を呼ばれたのだ。
そこに彼がいる、と言うことは、つまり―――彼の死体がそこに横たわっていると言うことで。
明らかに動揺が浮かんだ瞳を、藤代は目を逸らすこともせずにじっと見つめている。
こんな状況で嘘を吐くほど、馬鹿じゃない。
そんな色が見て取れた。 急激に身体が冷えた気がした。
雨に当たっているのだから随分前から寒いとは思っていたが、今度は内面が氷のように冷えてしまった気がする。
焦点が合わない。
いや、ずっと合っていなかったのかもしれないけれど。
目の前にあるはずの藤代の表情さえも判別できないくらいに、風祭の瞳は揺れていた。 「かざまつり」 わざとゆっくりと発音すると、呆然としていた風祭の身体がピクリと動いた。
しかし、濡れた額に手を当て、まるで頭痛に耐えているような体勢を取ると、また俯いて動かなくなる。
そっと、藤代が手を伸ばしかけた瞬間。
風祭は弾かれたように顔を上げた。 「藤代くん。不破君に、会わせて。」 懇願するような声色じゃない。
まるで、命令だ。
しかし藤代は首を縦に振らない。
何で!と叫びそうになる自分をグッと抑えて、風祭はゆっくりと息を吐く。 「―――お願いだから。」 藤代を見つめる瞳にはその強固な意志が映っている。
それでも藤代は躊躇わざるを得ない。
見せられない。
間宮とは違った意味で、藤代は不破の死体を風祭に見せるのを躊躇っている。 「それより早くここから離れようぜ。不破を殺した奴がウロウロしてるかもしんねーじゃん。」 敢えて、話題を逸らす。
な、と風祭を納得させようと試みるが、彼は頑として動かない。
強い意志を持った瞳が好きだ。
そこに、惹かれた。
しかし、こう言うときは素直に言うことに従ってくれた方が都合が良いのに。
諦めのようなため息が、藤代の口から漏れた。 「……分かった。退く。けど、不破がどんな状況でも、奴はもう死んでいる―――それだけは覚えておいてくれ。」 折れたのは藤代だった。惚れた弱味もある。
風祭はと言えば、藤代の言うことは不可解だったが素直に頷く。
促されて東屋に入るとまたあの匂いがした。
慎重に、長椅子の上に横たわる彼に近付く。
近付いて、想像し得なかった不破の死体に、風祭は言葉を失った。 身体をピンと張って、胸の上で手を組んで。
上半身には泥で少し汚れたブレザーが掛かっている。
茶色味のある髪は、濡れたせいで少し艶めいていた。
閉ざされた瞳、結ばれた唇。
どうみても、眠っているようにしか見えなかった。 「何だ…。」 ポツリと風祭は言葉を零す。
その表情には安堵さえ浮かんでいて。
嫌な予感が的中しそうだ―――藤代は瞳を眇める。
苦々しい表情をした藤代に気付くはずもなく、風祭はその幼い顔にうっすらと笑顔を浸透させていった。 「不破君、死んでなんかいなかったんだ…。」 良かったぁ。 そう言って一層笑みを深くする風祭に、藤代はどうやって言葉を掛けていいのか分からなかった。 不破の死体―――それは死んでいるとは思えないほど綺麗な物だった。
傍目から見ればただ眠っているように見える。
しかし近付いてみれば見るほど、それは生気の感じられない、人形のような表情だと気付いてしまう。
風祭だってそんな簡単なことに気付かないほど馬鹿じゃないはずだ。
だけど。 「風祭、俺がさっき言った言葉覚えてる?」 問えば。 「うん、覚えているよ。不破君はもう死んでるって言うんでしょう?…でも不破君は眠ってるだけだよ。起こせばきっと目を開けてくれると思う。さっきの放送は誤報だったんだね。」 笑顔と共にそんな返事が返ってくる。
嬉しそうに笑っている風祭に、藤代は言葉を詰まらせてしまう。
こんなに喜んでいるのに。
それでも不破は絶対に目覚めないだなんて、どうしてそんな残酷なことが言えるだろう。 「不破君、こんな所で寝ていたら風邪引いちゃうよ。起きて、一緒に行こうよ。」 不破の顔を覗き込んで、風祭が囁く。
当然の如く、不破からの反応はない。 今度はトントン、と肩を叩いてみる。
不破君、と呼びかけながら。
それでも不破はピクリとも動かない。 次は少々強引に肩を揺する。
「起きてってば、ねぇ」と次第に哀願するような声になっていくのを、風祭自身は自覚しているのだろうか。 その様子を藤代は黙って見つめていた。
見つめることしかできなかった。
乱暴に肩を掴んで、不破から引き剥がすことも可能だったけれど。
少しの狂気を孕んで、不破を起こし続ける風祭を邪魔する気にはなれなかった。
気の済むまで、起こし続ければいい。
決して目覚めない友達を想って、壊れてしまうような弱い奴じゃないと分かってる。
だったら自分はここでずっと見守っていればいいだけだ。
現実に気付いた風祭が泣き出すまで、ここでじっとその光景を眺めていればいい。 「不破君、起きてよ……!」 次第に風祭の声が苛立ちを含んでいく。
こんな声を滅多に出さない彼だ。それだけで、どこまで追い込まれているのかが分かる。
身体を必死に揺するけれど、硬くなり始めた不破の身体は風祭の力の方向に一緒に動くだけだった。
ばさり、と不破のブレザーが濡れた地面に落ちても、風祭は不破を揺すり続ける。
きっと彼はもう理解している。
不破の瞳が動くことがないことも、その唇が言葉を紡がないことも。
けれども、頭に心が付いていかない。
その調整が出来ていない。
それは微かに浮かぶ笑顔の歪さが物語っている。
そして、ぼろぼろとこぼれ落ちる涙。 ひゅぅ、となった喉が、思った以上に痛かった。 「―――もう良いだろ風祭…ッ!!」 耐えきれなくなって、未だ不破を起こし続ける風祭を、藤代は後ろから羽交い締めにするような形で力一杯抱きしめる。
静観を決め込むつもりだったのに。
そんな痛々しい姿を見せつけられて、黙っていられるはずがなかった。
抱きすくめられて、風祭はハァッと大きく息を吐き出す。
吐き出した拍子に、また、大きな瞳からぼろぼろと涙が流れ落ちた。
滲んだ視界には、先程と変わらない様子で不破が横たわっている。 「ッ…!!」 何を思って良いのかすら分からなかった。
ただただ、胸が痛かった。
何かに締め付けられているような痛みが心臓に広がっていく。
どうしていいのか分からなかった。
いるのに。そこに、いるのに。
まるで眠ってるような顔に、死の香りなんて微塵も感じられないのに!
どうして視線が交差しないんだろう。
どうして会話が成立しないんだろう。
どうして身体が動かないんだろう。
どうして…! 「うぅッ…ッ!」 頭が痛くなるような激しい感情に、名前を付けられない。
怒り?悲しみ?それとも悔しさ?
流れる涙は確かに自分の物なのに、熱すぎて、それすらも自覚できない。
抱いてくれる藤代の腕は目の前に存在してるのに、それを抱きしめ返すことすら考えつかなかった。 痛い。 痛覚だけが鋭敏になって、他の感覚が全て遮断されてしまったような錯覚を覚える。
体中どこもかしこも痛くて溜まらない。
この痛みを止める術を、風祭は知らなかった。 「不破君……ッ!何で、どうして!!」 誰にもその答えなど出せないと分かってる。
分かっていても叫ばずにはいられない。
初めて聞く激情を乗せた風祭の声を、藤代は強く抱きしめたまま、酷く傷付いた表情で聞き続けた。 この雨が。 風祭の悲しみを流してくれればいいのに。 そんな、祈るような気持ちを抱きながら。
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