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この無人島(今現在は、と付け加えておこうか)の中心にそびえる山。
その名前をこのプログラム参加者はおろか、元島の住人でさえも恐らく知らないだろう。
名前のない山。
それは低く、広く横たわり、島を支配していた。
しかし住民には愛されていたのだろうか。
所々に東屋が建ち、もしかしたら山越えは住民の一般的な散歩コースとして設定されていたのかもしれない。
道も獣道と言われるような所は少なかった。
舗装されているわけではないが、沢山の人が通ったために幾分、歩きやすくなっている。
その道を、ワザと逸れるようにして少年が歩いていた。
2人。
小さい身体でゆっくりと踏みしめるように前を歩く少年と。
その少年が転ばないようにと注意しながら後ろを歩く少年と。
彼らに浮かぶ表情には幾分の相違点が見られるものの、同じ早さで同じように歩いている。
雨がぱらついているため、道は泥道に変貌しようとしていたが、2人は気にしない。
時折、後ろの少年のポケットの中で妙な金属音がした。
風祭と藤代。
その2人がこの山を越えようと歩いている。
先程、このプログラムが始まってから初めての放送が成された。
相変わらず楽しそうな声色で話す西園寺の声が、島のあちらこちらに設定されているスピーカーから聞こえてくる。
それはノイズが混じってしまって、凛とした彼女の声がそのまま耳に伝わることはなかったけれど。
風祭は俯いて顔を顰める。
彼女は、一体どういう気持ちでこの放送をしているんだろう。
そして、彼女に一番近かった―――椎名は一体どういう気持ちでこの声を聞いているのだろう。
それを思って、彼は嘆息した。
その様子をすぐ横で藤代は観察する。
落ち込んでるのには誰の目から見ても明らかで。
そして、死亡者発表の時に呼ばれた間宮の名前が、風祭の顔色を一層悪くさせた。
気にする事なんて無いのに。
そう思って、殺した自分が全く気にしてないのが可笑しくなった。
殺されそうになった風祭が間宮の死亡報告にビクリと身体を震わせているのに、殺した自分は何にも思っちゃいない。
あーそういえば殺しちゃったよなー。
そんな風に思うことはあっても、ごめん、とか、悪かったな、とか。
反省や後悔の言葉は全くと言っていいほど出てこなかった。
それは藤代が納得して犯した殺人だったからか。
顔面蒼白になっている風祭の頭をポンポンと撫でてやりながら、藤代は奇妙に顔を歪めて笑ってしまった。
俯いてる風祭には分からない。
同時刻。
同じように山を登っている人影があった。
2人のいる位置からは随分と離れているが、歩きやすい道を避け、獣道をひたすら突き進んでいる。
呼吸が少し乱れてはいるものの、その他に怪我はなく至って健康体のようだ。
まとわりついてくる雨に、少し顔を顰める。
(出発してから6時間が優に経っているというのに……俺が会ったのは死体だけ、か。)
ピタリと足を止めて、つい空を仰ぐ。
ポツポツと霧雨のような雫が、顔を直撃していった。
その内の一つが瞳に当たって、まるで涙のように頬を伝って下に流れる。
友人の死に泣けない自分への、これは贈り物なのだろうか。
あまりに非科学的な思い付きに、渋沢は困ったように笑い、ゆっくりと瞳を閉じた。
その時だ。
比較的近くで何かの金属音と、人の呻き声が聞こえたのは。
ハッとして辺りを見回す。
木々がうっそうと茂るばかりで、人影のようなものは見当たらない。
一体何処から―――そう思って、注意深く辺りを窺いながら歩を進めていく。
すると、しばらくいった所で、座り込んでいる誰かの姿が見えた。
咄嗟に近くの木に身を隠す。
支給された日本刀―――鞄が奇妙な形に歪んでいたので、渋沢には何となく想像は付いていたらしい―――を構えて、ゆっくりと木の陰から様子を窺う。
誰だろう。
背丈は自分よりは低いものの、一般の基準よりは高い気がする。
藤代と同じ位か。
座っているため、真偽の程は定かではない。
一体こんな所に座って彼は何をしているのだろう。
他に人影は見当たらない為、どうやら1人のようだ。
伏兵がいるとは考えにくかった。
ゆっくりと近付く。
「う゛ッ」とまたその人物が苦しそうに呻いた。
もしかしたら怪我をしているのかもしれない。
と言うことは誰かに狙われた……?
怪我人を目の前に黙っていることもできず、渋沢は思い切ってその人物と対峙することにした。
相手がやる気だったらその時はその時。
自分に運がなかっただけのことだ。
「そこにいるのは誰だ?」
一つ深呼吸をして、声を掛ける。
一応、日本刀は抜刀している状態で、右手に持っている。
いつでも応戦可能だ。
銃器だった場合は意味がないけれど。
相手は一瞬大きく身体をはねさせて、ゆっくりと渋沢の方を向いた。
その顔を、渋沢は良く知っている。
「……山口?」
驚きに目を瞠れば、山口の方も驚愕を表情に出したまま、固まってしまっていた。
そしてそのまま視線を下に動かし、抜いたままの日本刀を認めて、表情を強張らせる。
「……その刀で俺を殺すのか?」
低く抑えた声色。
渋沢は慌てて日本刀を鞘に納めた。
「殺す気は、ない。」
ハッキリと言ってやる。
自分はこのゲームに乗っていない。
すると山口の頬が少し緩んだ。
「…悪い、お前がそう言うことする奴じゃないって分かってるんだけど…。」
つい疑っちまう。
ポツリと言った山口を、渋沢は責めることなどできなかった。
気まずい沈黙が訪れる。
しかしそれは山口の呻き声ですぐに破られた。
左足を押さえて、顔を歪ませている。
何事かと渋沢が近くまで寄ってみれば、彼の左足には鮫のような歯をした物が食い込んでいた。
おそらくは住民が仕掛けて置いた動物用の罠だろうと推測できる。
かなり深くまで食い込んでいるらしく、空いた穴から血がどくどくと流れ出していた。
とにかくこれを退けなければ。
しかしここまで食い込んでしまっている物を、無理矢理外しても大丈夫なものだろうか?
思わず注射器を思い出す。
あんな細い物でさえ、皮膚から抜くときはチクリと痛むものだ。
それなのに、こんな大きな物を抜いたらその傷みはどんなものなのだろう。
……計り知れない。
「山口。」
呼びかけると「何だ」とくぐもった返事が返ってきた。
余程痛むのだろう。
歯を食いしばって必死に耐えてはいるが、目にはじんわりと涙が浮かんでいた。
その様子に胸を痛めるが、このままにしておくわけにもいかない。
意を決して渋沢は口を開く。
「外すときにかなりの痛みを伴うかもしれないが……それでも、いいか。」
選択する余地など無いと知っていて、聞く。
嫌だと言われたらもうお手上げだ。
自分は医者ではない。
外そうが外すまいが、適切な治療などしてもやれないのだ。
しかしこのままでは恐らくどんどん食い込むばかりで、助かる見込みは少ない。
こんな所をやる気の奴に見つかったらそれこそ一巻の終わり。
どうする、と渋沢は重ねて尋ねる。
山口はしばらく黙っていたが、諦めたように頷いた。
「助けて貰えるだけでも感謝しなくちゃな。ここに来たのがお前で―――本当に良かったよ。」
そうして笑う。
いつもの彼の、爽やかな笑顔だった。
鞄からタオルを二枚取り出しておく。
包帯やガーゼと言った物は渋沢も山口も生憎持ち合わせていなかった。
使ってないから清潔だ、とちょっと戯けて言ってみれば、山口もプ、と笑う。
水もいくらか消毒になるかもしれないと、出しておく。
渋沢は自分のを使っても良いと言ったが、それを山口は頑なに拒んだ。
俺のを使ってくれ、こんな所までお前に迷惑を掛けられない。
そう言ってチャックを開け、中からミネラルウォーターを取り出す。
少し減っていたが、充分な量があった。
全ての物を脇に置いて、渋沢は山口の左足に向き直る。
「―――いくぞ。」
言うと同時に罠に手を掛けると、山口の身体が強張った。
痛みに備えているのかもしれない。
ぐ、と力を入れると、罠が少し口を開けた。
そのまま勢いに乗せて両側に開いてやる。
錆付いているのか嫌な音がしたが、さほど苦もなく開くことができた。
その隙に山口が足を取り出す。
やはり刃が抜けたときにかなりの傷みが生じたのだろう―――顔は歪み、額に脂汗が浮かんでいた。
渋沢は自分の指を挟まないように慎重に罠を戻すと、今度は水に手を掛ける。
ザバッと左足にそれを掛けると浸みるのか山口が痛みに眉間の皺を濃くするが、それを見ない振りをした。
躊躇している暇はないと思った。
丁寧かつ迅速に水を拭き取り、新しいタオルを巻いてやる。
テーピングには慣れているが、こんな厚い物でやったことはない為、少々勝手が違ったようだ。
しかし生来器用な質なので難なくこなす。
やはり血が水色のタオルに染みてきてしまったが、一応応急処置は終了した。
「後は止血か……心臓より上に持っていくんだっけ?」
山口が足を高く掲げようとする。
しかし上手く動かないのか、持ち上げようとしては下ろし、下ろしては持ち上げようとした。
が、やはり上手くいかない。
動かす度に痛みが酷くなる。
諦めて足を投げ出した。
すると渋沢が目の前で背を向けて座り込む。
疑問符を浮かべていると、広い背中越しに低い声が聞こえてきた。
「俺の肩に置けば少しはマシだろう。向かい合うのは何だか照れ臭いから勘弁してくれ。」
はは、と笑い声を発する。
山口は少々驚いたが、せっかくの好意なので素直に受けることにした。
ゆっくりと足を上げて渋沢の左肩に乗せる。
確かに、先程よりは楽だった。
「サンキューな…でもお前、俺なんかに背を向けて後ろから刺されたらどうするつもりなんだ?」
あまりに無防備に背を向ける物だから、山口は正直面食らっていた。
自分の知っている渋沢はもう少し思慮深いと思っていたが。
キーパーを務める彼を思いだして、山口は思う。
冷静沈着な守護神。
コートの中では常にゲームを見極め、把握し、的確な指示を出す。
武蔵森の試合などを見ているとそれが良く分かった。
点取り屋の藤代も凄い、中盤の司令塔三上もよく働いているが、武蔵森が強いのはやはりこの渋沢が後ろでがっちりと守っているからなのだ。
安心感、とでも言おうか。
全てを委ねられる存在―――それが渋沢だった。
「構わないさ。刺す、と言うことは山口の武器は刃物系か?お互いあまり運がないな。」
山口の問いに、渋沢は軽い調子で答える。
「当たり。俺の支給武器はナイフだ。役に立ちそうもないし―――役に立たせるつもりもないけどね。」
暗にやる気ではないことを伝えてみる。
すると渋沢は嬉しそうに笑った。
いや、背中しか見えてなかったから表情は分からないけど。
多分、彼は今微笑んでいるのだと思う。
人の良い、あの笑みで。
しばらくすると左足の疼くような痛みは薄れてきた。
血が止まってきたのだろう。
渋沢の肩も疲れて来る頃だろうからと、山口はゆっくり足を下ろす。
それに気付いて振り返った渋沢に「止まったみたいだぜ」と、ニッコリ笑ってやる。
安堵したように笑う渋沢を、やはり、何処か見たことのない表情をすると山口は思った。
こんな状況で普段通りいられる方がオカシイというものだけど。
しかしこれが本来の彼の顔なのかもしれないとも思う。
いつも周りに人を置いてはいるが、渋沢はプライベートなところまで踏み込んでくることは滅多になかった。
良い相談相手だと思う。
下手に踏み込まれるより、第三者の顔で神妙に頷いて貰う方が、相談し易かった。
その点で渋沢は良い相談相手なのだ。
口が堅い、と言うのも大いにプラスポイント。
しかし何処か近寄り難かったのも確かで。
こんな風に笑われると、どうして良いのか反応に困ってしまう。
信頼が見え隠れする、そんな笑顔。
それを渋沢が自分に向ける日が来るなどと、どうして思えただろう?
彼はいつも皆の中にいても1人だった。
信用している、と口では言ってても、恐らくそれは嘘だったのだろう。
本人に嘘を吐いてる気はない。
本気で信用していると思っていても、胸の奥、腹の底では信用し切れてなかったのではないだろうか。
だから山口は戸惑うのだ。
見せかけじゃない、本当の信用というものを渋沢の表情に読み取って。
不覚にも―――少し、照れてしまう。
「歩けるようになったら島のはしにある診療所まで行こう。あそこならば少しはまともな治療ができるかもしれない。距離は結構あるが……。」
「平気平気。その位歩いてやるって。……悪いな、迷惑かけて。」
申し訳なさそうに項垂れれば、渋沢は何を言っている、と微笑んだ。
困ったときはお互い様だろう。
その台詞が、今ほどしっくりくる場面もないと思う。
そして、それが嬉しいと感じるのも、こんな状況ならではなのかもしれない。
滲んだ涙を隠すために、山口は勢い良く顔を上げた。
渋沢を正面から見据えて、そして、微笑む。
「ありがとう、な。」
すんなりと、こんなに素直な気持ちで礼を言ったのは一体何年ぶりだろう。
不謹慎にも心の底から笑いたくなった。
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