* 寒がりと遅刻魔/1 *

 
 

ある冬の日。
12月のドイツにしては珍しく、太陽が青い空を支配していた。
ぽかぽかと暖かい日差しが、木々の間から零れてくる。
そのせいか早朝にも関わらず、散歩をしている人たちも少なくはない。
一体どこまで行く気なんだというような気合の入ったスタイルで公園をひたすら歩いている。
日本人の散歩の概念と異なって、彼らは近所のみならず何キロ先までも余裕で歩いてしまうような民族だ。
太陽があまり顔を覗かせないドイツで、晴れた日の散歩とはイコール、エネルギーを充電する行為のことなのかもしれない。
今日は天気と同じように晴れやかな顔で歩いている人々がほとんどで、街は朝から幸せな雰囲気に包まれていた。

 

そんな雰囲気に添わず、ひたすら不機嫌な顔をして走っている少年がひとり。

 

彼は陽気のせいもあり比較的薄着の人々の中、マフラーにコ−トという重装備で街を疾走していた。
「この暖かいのに」と呆れて彼を見る者多数。
しかし彼は酔狂でこんな格好をしているわけではない。
寒いのだ。ただひたすらに寒いのだ。
生まれも育ちも日本の静岡。冬はもちろん寒くなりもするが、ドイツの気温とは比べ物にならない。
ぶるっと身体をひとつ震わせて、若林はマフラーを口元まで引き上げた。
しかし、走る速度は緩めない。

(あーもーあんにゃろ、どうしてくれよう……!!)

ともするとこみ上げてくる怒りに、若林は更に走る速度を速めた。

 

 

事の起こりは昨日の夜。
若林はいつものようにクラブの練習が終わった後の居残り練習に余念がなかった。
それにシュナイダーが付き合ってくれる。
ハンブルグの街は結構入り組んでいる箇所があるため、あまり道に詳しくない若林が迷わないようにとシュナイダーなりに気を利かせていたつもりだったのだが、若林にその細やかな配慮は通じていないようだ。
シュナイダーの陰ながらのフォローも露知らず、今日も練習の鬼SGGKはひたすら若き皇帝の放つシュートだけを追い続ける。
ファイヤーショットを止めたときに見せる、勝ち誇ったような笑顔がシュナイダーにとって唯一の見返りだ。
……かなり複雑ではあるけれど。
まぁ、それはそれ。今回の話にはあまり関係ない。
関係があるのは、練習も終わって帰路についたとき。
学校でもクラブの練習でも遅刻ばかりしているシュナイダーに、若林が説教を始めたことから始まる。

「お前、何でそんなに遅刻ばかりするんだ?ちゃんと母親が起こしてくれるんだろう?」
「ああ、ちゃんと時間に間に合うように家は出るんだが、寄り道が多くて遅くなってしまうみたいだ。」
「みたいだって……自分のことなのに良く分かってねぇの?変なヤツだな。大体なんでそんなに寄り道すんだよ?ずーっと同じ道じゃねぇか。」
「同じ風景でも、毎日少しずつ変わっていくもんだ。見た目には何の変わりはなくても、どんどん上達していってるワカバヤシのようにな。」
「ハイハイ、お世辞言っても何にもでねーぞ。見た目に変わってなければ寄り道する必要なんかないじゃんか!」
「…それもそうだな。何でだろう。」
「……。」
「誰かと一緒なら寄り道せずに済むかもな。」
「本当か?だったら俺が一緒に行ってやるよ。待ち合わせて、な?」
「分かった。」

そんな会話が繰り広げられた後、次の日の学校へ行く段取りを決め、待ち合わせ場所を決めた。
お互いの家の中間点。通学路の途中。
時間を少し早めに設定したがる若林に対し、シュナイダーはギリギリの時間を譲らなかった。
結局若林が折れる形となり、始業ギリギリに学校へ着ける時間に決まる。
シュナイダーは満足そうだが、若林は不服そうだ。

そして、次の日の朝。

待ち合わせの時間よりも少し早く、約束の場所に若林は到着する。
朝食を食べているときに、見上が今日は暖かいらしい、と教えてくれたのだが、朝起きるのが寒さのあまりいつも通りに辛かった若林は、その言葉を鵜呑みにせず先日と同じ様な格好にした。
結局それは吉と出る。
ドイツ人が感じる「暖かい」と、日本人である自分が感じる「暖かい」はどうやら別物のようだ。
ぽけっとそんなことを考えていれば、時間は自ずと過ぎてくれる。
時計を見ると、約束の時間を5分オーバーしたところだった。
(おいおい、決めた時間でも間に合うかどうかってところなのに、それから更にオーバーさせてどうするつもりだよ?)
きょろきょろと辺りを見回しても、シュナイダーの姿は見つけられない。
こんなことなら直接家に押しかけるんだった、と後悔してももう遅い。
約束は約束だ。あともう少しだけ待ってみよう。
そう決心して、若林はマフラーに顔を埋めた。

しかし、それから5分経ってもシュナイダーは現れない。
何かあったんじゃ…と思うよりも先に、自分と待ち合わせた時間にさえ遅れるシュナイダーへの怒りが込み上げてくる。
(くそ、朝の1分は昼の1分とは違うんだぞ!やっぱり直接家に行くんだった…!)
先に行こうにも、連絡が取れないんじゃ動きようがない。
いまいち電話の掛け方も分からないし、八方塞だ。
置いていってしまえ、という思いがないワケでもないが、なんとなく後味が悪い気がして足を踏み出せない。
結構律儀な若林だった。

更に5分が経過する。
時間が経つにつれ、青空からは暖かい陽光が降り注ぎ始め、街は活気を帯びていく。
しかし若林の機嫌はそれとは反比例の関係にあった。
街が騒がしくなればなっていくほど、若林の機嫌は悪くなっていく。
もうそろそろ走らなければ間に合わない時間だ。
さすがにもう待っていられない。

駆け出した若林の心に「先に行って悪い」などという罪悪感は、その頃にはもう一欠片もなかった。

 

 

そして今に至る。

全力疾走で学校まで走ってきた若林が校門をくぐる頃には、彼の怒りは最高潮に達していた。
いつも余裕を持って登校してくるため、息を切らせていることなどめったにない若林の珍しい姿に、教室の扉付近で友人数人が何かあったのかと声をかけるが、若林は「何も」と一言酷くぶっきらぼうに発音しただけで、それきり黙りこんでしまう。
どか!っと派手な音を立てて椅子に座ると、机の上に置いた荷物に突っ伏して動かなくなってしまった。
友人達は訳も分からずに遠目に見守るだけ。
今何かすると噛み付かれそうだ。

そんな風に友人達が静観を決め込む中、ひとり、若林の方に向かって歩いてくる者があった。
学校にも関わらず、トレードマークの爪楊枝を咥えて離さない、ヘルマン・カルツその人。
サッカークラブでもチームメイトの彼は、不機嫌絶好調の若林にも怯まなかった。

「よう、ゲンさん。今日は朝から随分と荒れてるねぇ。」

飄々、といった雰囲気を纏って、突っ伏したままの若林の旋毛に向かって話し掛ける。
すると、若林はのろのろと頭を上げた。
教室に入ってきたときには遠目だったので分からなかったが、若林の瞳は恐ろしいくらいに怒りに燃えている。
こりゃ、相当ご機嫌斜めだぜよ。
苦笑をもらして、カルツは若林の隣に腰をおろした。

「で?何があったんでぃ。」
「……俺は、ドイツ人は時間にうるさくて、約束を重んじるもんだと思っていた。」
「?確かにそういう面はあるな。それがどうかしたか?」

唸るように声を絞り出す若林に、カルツは首を傾げる。
相当怒っているようだが、誰かに約束でも破られたんだろうか。
日本人もそういうトコうるさいらしいから、そりゃお怒りご尤もという感じもする。
しかし若林の怒り方は尋常じゃない。
他にも原因がありそうだ。

「誰かに約束破られたのか?」

聞くと、彼の機嫌は更に急降下する。まだこれ以上悪くなれるのかと、カルツは逆に感心してしまった。

 

「…アイツだよ!シュナイダー!あんにゃろ、約束した時間過ぎてもこねぇでやんの!折角朝遅刻しないように俺が一緒に登校してやるっつってたのに!」

 

どっかん。

そんな噴火の音を、カルツは聞いたような気がした。
若林の大声は、広い教室中に響き渡ることになり、シュナイダーの悪行(?)も吐露される結果となる。
しかし友人達も慣れたもの。
何を今更、と呆れて自分達の会話に戻っていった。
シュナイダーの遅刻癖は今に始まったことではない。

「シュナイダーと一緒に登校しようなんて無謀だぜ、ゲンさん。アイツの遅刻癖はゲンさんだって嫌って程知ってるだろ?何でまたそんなことを…。」
「アイツが、誰かと一緒なら遅刻しねぇっつーから。」
「…それ、信じたのか…。」

お人好しというか何というか。
シュナイダーが誰かと待ち合わせてきたという前例がないから何とも言えないが、まずその待ち合わせ場所に遅刻してくるのは必至。
彼と登校するなんて、自分だったら絶対にゴメンだ。
むすーっとしている若林を、カルツは哀れみのこもった瞳で見つめた。

「とにかく、シュナイダーが遅れてくるのは分かっていたことなんだから、そうカリカリしなさんな。」

宥める様に言ったカルツの言葉は、逆に若林の怒りを更に煽ることになる。

「まぁ、それは仕方ないかもしれない。俺もその辺浅はかだった。しかし、しかしだぜ!?俺はあの寒い中を20分以上も待たされたんだ!!この寒いのにだぜ!?」

本当の怒りの原因は、そっちにあったらしい。
時間に遅れたことも許せないが、それ以上に、あの寒さの中待たされたことの方が若林にとっては重要だったようで。
確かに今も、室内にも関わらずマフラーにコートという真冬のような格好をしている。
他の友人らは比較的軽装なのに。
かくいうカルツも、今日は暖かくて散歩日和だぜよ〜などと思いながら、のんびりと学校に来たのだが。

「ゲンさんは極度の寒がりだからな。」
「俺は至って普通だ。お前らが寒さを感じなさ過ぎるんだよ。」

彼の機嫌は直らないどころか、どんどんと悪くなっていく。
若林と一緒になってシュナイダーをなじれば、少しは機嫌を直してくれたのかもしれないが、今回はどっちが悪いと第三者が決められるようなものじゃない気がする。
遅刻魔と待ち合わせをした若林が悪いのか、寒い中若林を待たせ続けたシュナイダーが悪いのか。
どっちに付くのも面倒だったので、カルツも他の友人達と同じく静観を決め込むことに決めたのだった。

結局。

1限目にシュナイダーは現れなかった。

 

 

シュナイダーが重役出勤してきたのは、1限目と2限目の間の休み時間。
のんびりと教室に入ってきた彼を、友人達は気にも留めない。それは日常であるからだ。
ただひとり、若林だけが過剰反応する。
じろりと一回睨めつけて、後は無視を決め込んだ。
そんな彼の反応に、シュナイダーは表情を変えない。
無視をしたのに更に無視し返されたようで、若林の方は面白くない。というか腹が立つ。
(あのやろう、約束したこと自体忘れてんじゃねーんだろうな!?)
沸々と煮えくり返る怒りに唇を噛み締めれば、口内に鉄の味が広がった。

しかし、若林は一つ勘違いをしている。
若林の態度に表情を変えなかったのは、感情が表に表れないだけのこと。
只今シュナイダーの頭の中は空前絶後の大パニック状態に陥っていた。
(怒ってる…当然か…。)
どうしたら許してくれるのか、どうしたら機嫌を直してくれるのか。
授業中も彼はそんなことばかりを考えていた。
もちろん、授業の内容なんてサッパリ頭に入っていない。
傍目にはジッと授業に聞き入っているように見えるから、教師に怒られることもないけれど。
無表情もたまには役に立つものだ。

 

午前中最後の授業は、体育。
それもサッカーだ。
この機会に溜まりに溜まった鬱憤を発散させようと、若林はいつも以上に気合を入れて、ゲームに挑む。
若林はAチーム、シュナイダーはBチーム、カルツはCチームだ。
初めはBチームvsCチーム。
さすがにシュナイダーはフォワードではなくゴールキーパーにされている。
カルツも、フィールドプレイヤーでは具合が悪いのでゴールキーパーにされていた。
どちらもなかなかの活躍。手を使えることに少々戸惑い気味ではあるが、立派にゴールを守っている。
ゲームは後半に入っても0−0の均衡を保っていたが、我慢しきれなくなったシュナイダーのオーバーラップが見事に功を奏して、終了間際に1−0。どこにいてもやはり点取り屋である。
そしてAチームvsBチームの試合。
若林の方もゴールキーパーでは試合にならないと、せめてものハンデにディフェンダーにされてはいるが、彼の運動神経をもってすればゴールキーパーだろうがディフェンダーだろうが、あまり関係ないらしい。
敵チームのフォワードを、ことごとく潰してくれる。
時々ボールをとろうと手を伸ばしてしまうことを除けば、若林は立派にフィールドプレイヤーとしての仕事を成し遂げていた。
ひとつ気になることと言えば、自分の陣地から全く出ないことくらい。
完全に守備に徹して、攻められた時のみ全力で動いている。
サボっているわけではない。相手の陣地に行きたくない理由があるだけだ。
敵はBチーム。つまり、ゴールキーパーはシュナイダー。
彼のそばに近寄りたくなくて、若林は前半の間ずっと自分の陣地から一歩も出なかった。
頑ななその態度に、皇帝はまた人知れず凹んでしまう。顔には全く出さないけれど。

そんなシュナイダーの気持ちを無視して、試合は進む。どんどん進む。
後半になっても、若林は相変わらず自分の陣地のゴール前にへばりついていた。
全く前に進む気配を見せない。
その姿に、シュナイダーは溜息をつく。
(そんなに怒ることか?)
自分のことを棚に上げて、半日が過ぎようとしているのに怒りが解けない若林への不満を思う。
そう思ったら、今度はだんだんと腹が立ってきた。
自分が遅刻魔だと言うのは彼だって重々承知のはず。
それに文句を言うのは、ちょっと違うんじゃないか?

イライラとした気持ちはそのままプレイに反映される。
シュナイダーらしくないプレイの連続に、同じBチームの生徒も少しビビり気味だ。
さっきまで若林だけが発していた怒りオーラが、今度はシュナイダーに伝染している。
フィールドの外から見ていたカルツは、思わず吹き出しそうになってしまった。
(奴さん、逆切れしとんな〜。)
どっちも短気だから、喧嘩をすると始末に負えない。
どちらかが譲歩しなければいけないのに、それすらも意地でしないから、一度喧嘩するとこの2人の場合ひどく長引くのだ。
しかし今回自分は全く関係ないからと、カルツは思い切り傍観者の立場を楽しむことに決め、にやりと笑うのだった。

カルツがそんなことを思っていても、喧嘩をしている当の本人達には分からない。
どちらもイライラとして、もはや試合どころではなかった。
(何でお前が怒るんだよ!?)
シュナイダーに怒る権利なんかないはずだと、試合に集中していたときは忘れていた怒りを若林は思い出す。
思い出してしまうともうダメだ。
今すぐ彼の元に行って、殴りつけたい衝動に駆られてしまう。
しかし今ここであちらの陣地に入るのは自分の負けのような気がいてならなかったので、イライラとした気持ちを持て余したまま、若林は八つ当たりのように向かってくるBチームのフォワードを潰しまくった。(というか八つ当たり以外の何者でもない)

そしてそれは、先ほど同様オーバーラップしてきたシュナイダーが、ボールをゴールに叩き込むまで続けられた。
しかし先ほどと違う点が2つ。
1つ。シュナイダーが怒りのあまり、ファイヤーショットを放っていたこと。
2つ。ゴールにそれが突き刺さる前に、ディフェンダーの顔面を直撃していたこと。
そのディフェンダーというのが、あろうことか若林だった。
いつもならファイヤーショットを顔面に受けようと不敵に笑って見せる彼が、今日はそのまま地面に倒れてしまう。
教師や生徒が駆け寄ってくる中、若林はチカチカとしていた世界がだんだんと暗くなっていくのを、頭の隅で辛うじて認識していた。

(あー…もう今日は厄日だ…。)

そう思った瞬間に、彼の意識はぷつりと途切れてしまう。
意識を失う前、最後に聞いた声は今一番聞きたくない声だったような気がした。

 

 

 

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