北風と旅人
 
 
 

窓の外、みぞれが空から落下してくる。雨は日が沈んで冷え込んだ気温に、途端白い氷と化していたらしい。
初雪にはしゃいでいた子供も今や消え失せ、時刻は真夜中。装飾された街灯が誘い、照らす街道に人の姿はおろか、猫の子一匹見当たらない。
温度差に霜のできる窓の隅。はがそうと北風が窓ガラスを激しく叩く。
ゆるんだみつあみから、ほつれた髪をかきあげる少年は、眉間に皺を寄せながら、おおよそ同年代なら手にすることもない書類に、静かに目を通していた。
そんな少年の端正な虚像に指をはわせたら、キンとした冷たさが手袋越しにも伝わって、思わず手をひっこめる。

「なに見てんだよ?」

大佐―――エドワードは不躾にも机の上に飛び乗っていて、持ってきた報告書をつまらなそうに指で弾いていた。
大佐と呼ばれた男、椅子に深く腰掛けていたロイは振り向いて、温かな部屋にコートを脱ぎ捨てた少年を見つめた。
小さな嫉妬を笑うように、暖炉の薪がぱちりとはぜる。

「実は目も醒めるような美しい女性を探していたんだ」

こんな味気のない字面に深夜まで埋もれていてはね。
男が指し示すのは、山と重なる書類の数々に違いなかった。

「こんな時間に出歩いているかっての」

「嘘だよ。本当は窓に映っていたおまえに見とれていた」

すると困ったように眉をひそめる少年を、照れたときの癖だとロイは見事に言い当ててみせた。
エドワードは居心地悪そうに視線をそらしたままだ。

「・・・、それより、報告書に目を通してくれねえ?」

どこか焦燥を言葉の端々に感じられるのは、おおよそ彼の愛する弟が宿で帰りを待っているからなのであろう。
せっかちだな、と笑いながら、エドワードの手から彼がここにきた理由を受け取ろうとする。
だが少年は、殊更意地の悪い笑みを唇に浮かべると、その鋼の腕でロイの手を掴み、ぐいと引き寄せるように抱きしめた。
咄嗟のことに目を見開いたロイは、それからすっと細めた。

「おや。迅速になつ印して、早く帰して欲しいのでは、なかったのかな?」

「気が変わった。駄目なのかよ」

いくら彼が日中大人びてみせようとも、2人の時だけにしてみせる、拗ねた子供の口調だけは、変わらない。
年相応の甘えぶりが残っていることに、僅かばかり安堵して、大分困惑する。
圧迫するような抱擁は、まるで縋りつくようでもあり、どんなに大きな腕でも与えることは出来ない包容力と、愛しいくらいの苦しさを感じる。
子供の横顔には似つかわしくない翳りが、その伏せられた瞳に交じって、ロイは開きかけた口を噤む。

「なあ、大佐」

「なんだ?」

ロイは、エドワードの口から一切旅先のことを聞かなかったし、聞こうとも思わない。
少年がその背中に、過ぎるほどの使命と咎を背負って、そしてそれがどれほど過酷な日々を与えているか、よく分かっていたからだ。
紙面一枚で全てが片付き、二度と思い出すこともなく封印できるものであれば、そのまま放っておいてやりたいとも思っている。

「キスしたい」

「・・・おまえの嫌いな、コーヒーの苦味がしても良いのであれば、」

言い終えるか否かの言葉尻をさらい、我武者羅なキスを受ける。
抱きしめてくる腕の力はますます強まり、ロイを苦しくも切なくも羽交い絞めにする。
背中に縋りつくように指を立てて、力の限り抱きしめてくるエドワードとは違って、ロイはその金色の頭に、そっと手を這わせるだけだ。
上がる温度に、火照る頬。ロイの少し青白いくらいの頬は、深いキスを何度か繰り返している内に、赤く染まっていく。
熱に濡れた瞳を見据えて、エドワードは名残惜しげに唇を舐めていった。

「・・・。オレ、もう・・・、」

行かなきゃ。
唇に吹きかかる吐息が、段々と離れていく。

「・・・ああ、そうだな。弟くんも、さぞかし心配していることだろう」

「でも、本当は行きたくねえよ。出来るなら、アンタの傍についていてやりたいよ」

そう言って、上向いた少年の瞳は、窓枠を越え、絶え間なく降下する雪のしずくを捕らえているのだろう。
ロイは微笑して、誇らしげに言った。

「明日は早いのだろう?ならば、いつまでもこんなところで油など売っていないで、宿に戻って休養を取りたまえ。列車に遅れても、私は知らないぞ」

私は大丈夫だから。

「・・・人をそんな目で誘っといて、それかよ。冷たいんだか、思いやってんだか、よく分かんねえ」

ため息をついたエドワードに笑って、暖炉の前にかけていたコートを取って出て行こうとするのを、ロイは思い出したように、慌てて呼び止めた。
小首を傾げる少年を眼前まで手招きすると、自分の青い外套をエドワードに羽織わせる。
ふわりとエドワードの鼻をかすめる、爽やかなパルファン、じんわりと身体に沁みこむ温もり。
驚愕するエドワードが何か言う前に、まるで彼の心中を見透かしたようにロイが先手を取ってしまう。

「この天気だ。おまえのそのコートは、ここにくる時に、すっかり濡れてしまっているのだろう?ものの10分や、そこらで乾くもんじゃない」

「けど、大佐は、」

「私か?なに、どうせ今夜もこの暑苦しい部屋で徹夜だ。それに、ここにはブランケットもあるのでな、心配することはない」

「でも明日必要だろ?だってこれ軍服、」

「おまえのコートは、早朝部下にでも届けさせるさ。そのときに返してくれて構わない。幸い、明日は大事な会談も、将軍殿の見回りもないんでね」

押しつけてくる手に諦めたエドワードは、改めて、羽織る外套をまじまじと見つめた。

「・・・あったかい」

ワイシャツの袖を捲り上げながら、ロイはにこりと笑う。

「それは、良かった」

もともと体温は低い方なのだが。
そう言って、ロイは前のボタンをとめてやると、俯く少年の前髪をかきあげて、触れるだけの優しい口づけを額に落とす。
神のご加護があるように、と母親のような慈悲で持って、目を細めていたロイは、やがて堪えきれなかったように吹き出した。

「しかし、さすがに私の服は大きいようだね?鋼の」

エドワードはロイの発言に明らかに眉間に皺を寄せた。
そして余った袖に、瞳を眇めた。

「なんか、むかつくんですけど」

声を上げて笑っていたのは気がひけたのか、すまないと小さく謝ったロイはその髪に指を梳かした。

「これから、大きくなる。そうしたら、今度は立場が逆転するかもしれないぞ?」

「それだけじゃなくて、」

首を振った少年に、ロイは小首を傾げた。
唇を尖らせるエドワードは、気まずそうに顔を背ける。

「温かいから、気に食わない」

「なぜだ?」

「オレは、・・・こんなことすら、大佐にしてやれねえから」

語尾になるにつれて小さくなっていく声は、それでも真冬の深夜にはっきりと聞き取れた。
ロイが瞠目する横で、エドワードは唇を噛んだ。

「オレの服は、認めたくねえけどやっぱり小さくて、大佐に温もりを分けてやるどころか、着させることなんて到底出来ないし、それに、オレの腕は、」

袖口から剥き出しになった鋼の拳を握り締め、エドワードは肩をすくめた。

「オレの右手は、・・・ただの鉄の塊で、無機質だ。返って、アンタに冷たい思いをさせるだけで、」

悔しい、と少年は確かに言った。
ロイは独白に静かに耳を傾けていたが、やがてその手を取って、俯く顔を屈んで覗き込んだ。

「鋼の」

「・・・、なんだよ」

「私にとって、これがおまえの腕であることに、変わりはない」

顔を上げるエドワードに、ロイは柔らかに微笑んで見せた。

「おまえのその腕が、私を熱くさせるんだ。それこそ、指の先から、身体の深部まで。きつく、いとおしさを込めて抱かれるたびに、胸の奥から熱くなってくる」

久しく忘れていた感情だ―――どこか照れ臭そうに、だが惜しげもなくロイは胸中を語ってみせた。

「鋼のの言う、この温かい外套にも、おそらくその余熱が回ったのかもしれないのだよ」

おどけながら軽く笑ってみせたロイが、エドワードに背を向けようとした瞬間、突然抱きすくめられて、驚きこそはしたが、しかし突き放すことなどはせず、飛び込んできた体温に頬を摺り寄せた。
エドワードは何も言わずに、強く強く抱きしめてくる。

「―――それから、もう一つ」

ロイは背中を叩いて、耳元に囁く。

「私は、おまえの欠けた温もりを取り返してやることは出来ないし、不器用だから、下手に補うことも出来ん」

「・・・分かっている。でも、」

大丈夫だぜ、と。
厳しい顔で呟いた少年の両目に、再び強い意志が宿るのを、ロイは見守っていた。そして「まったくせっかちだな」と、さも可笑しそうにも笑う。
何か言い続けようとするエドワードの口元に、ひとさし指をそっとあてて、抱きしめる腕に身を委ねながら、今はまだ小さな背中に腕を回した。

「だが、願わくは私の愛しい人もそうであるようにと、思ってやまないんだ」
 
 
 
 
 

氷水眠子様に捧げます。
紅櫻より愛を込めて。

 

お礼コメンツ☆

 
紅櫻のkaiさまより、相互記念に頂きましたv
私がkaiさまの小説の一場面を絵に、kaiさまが私の絵を小説に、という今思っても何ともおこがましい…!
静かな、だけど愛しさに満ちた空間で紡がれる2人の言葉が温かくて、切なくて。
元になったこちらの絵から出来たとは思えない完成度です。

kai様、本当にありがとうございました!