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白い世界にくっきりと浮かび上がる黒が笑いを誘う。
寒がりの異国人は、積もり始めた雪をそれは楽しそうに踏んで歩くのだった。
「寒くないのか?」
いつもだったら即答で「寒いに決まってる!」と怒鳴り声が返ってくるところだ。
しかし、今日ばかりはそれもない。
「えー?」と愉快そうな声色で振り向いては、にっこりと笑うだけ。
そして、尋ねたシュナイダーにはすぐ興味を無くして、上から落ちてくる白と、下に降り積もる白に、若林はまた夢中になる。
ドイツに来て初めての冬。
ハンブルグでの練習中、何の前触れもなく降り始めた雪。
それに若林は面白いくらいに反応した。
彼の生まれ育った場所で、雪が降るのは稀だったらしい。
朝は「今日はいつもより寒い!寒い寒い!」と、散々文句を言っていたのも忘れ、滅多に見ることの出来ない光景にすっかり見入っていた。
雪が降り積もっては練習にならないと、その日の練習は早めに切り上げられ、もちろん、恒例のSGGKと皇帝の居残り練習も中止される。
だんだんと積もっていく雪に、若林の興味は尽きない。
自分の袖に雪を落として結晶を作っては瞳を輝かせ、積もりたての柔らかい雪を踏む度に、彼の機嫌は舞い上がっていく。
まだドイツに慣れていないせいもあって、常に強張ったような表情を浮かべている若林だったが、今日ばかりは子供そのものの表情に戻っていた。
いつもと違うそれは、シュナイダーを嬉しいような、寂しいような、そんな複雑な気分にさせる。
こんな風に優しく笑っている顔も、嫌いではないと思う。
けれど、負けるものかと唇をきつく結んでいる若林の表情も、シュナイダーは気に入っているのだ。
雪の中、全てを許しているような雰囲気を纏う彼に、なんとなく、本当になんとなくだけれど、寂しくなってしまう。
どうしてだか自分でも分からないけれど。
シュナイダーの心の内も知らず、若林は帰り道を雪と戯れながら歩く。
この白い世界を見慣れている人間からしたら、何がそんなに楽しいのだろうと疑問を抱かずにはいられない。
雪が積もるとサッカーもしにくくなるし、寒さも厳しくなるし、良い事など一つもないと思えるのに、若林はただ降り積もるだけの雪がよほど好きらしい。
いつも帰り道だけで何十回もマフラーを口元まで引き上げる手は、今日は一度もマフラーに添えられていない。
手袋だってはめられていない。
理由を聞けば、雪の感触を楽しみたいから、だそうだ。
既に赤くなり始めている指先を、若林よりもシュナイダーの方が気にしている。
ゴールキーパーの癖に手が凍傷になってもいいのか、とか、そんなに冷やすと動かなくなるぞ、とか。
言いたいことは山ほどあるのに、楽しそうな若林を見ていると、水を差してしまうようでなかなか言えない。
こんなにも臆病者だったのかと、シュナイダーは自分をこっそりと嘲笑った。
その気配に若林が後ろを振り返る。
苦笑いのようなものを浮かべているシュナイダーに、彼は首を傾げた。
こんなにも幻想的な景色の中で、シュナイダーは困った様に笑っている。
自分のように楽しむでもなく、大人達のようにうざったそうにするわけでもなく。
ただ静かに微笑んでいるだけなのだ。
その表情から何も感じ取れなくて、若林は少し不安になる。
凪いだ海のような瞳には、一体どんな心情が反映されているのだろう。
安らぎか、退屈か。
それが若林には分からない。
「…シュナイダーは雪が嫌いか?」
変化球を投げても通じない相手だ。
思い切り直球勝負を仕掛けてみる。
すると、シュナイダーは一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐに先ほどの静かな表情に戻ってしまった。
「どうして、そう思う?」
意地悪な皇帝は、逆に質問を返してくる。
口で勝てないのは以前証明済み、ここはおとなしく若林の方が先に折れた。
「…つまんなそうだろ、さっきから。」
若林が言うと、シュナイダーは「そんなことはない」と、空から降り注ぐ雪に混ぜて、言葉を落とす。
それは若林が拾う前に、地面の雪と同化して消えてしまった。
見えそうだった本心を掴み損ねて、若林は口を尖らせる。
その動作に、満足のいく答えではなかったのか、と少々勘違いをして、シュナイダーは更に言葉を連ねた。
「あぁ、少し、つまらなかったのかもしれない。」
さくり。
白い雪を遠慮無しに踏みつけて、シュナイダーは若林の傍に一歩進む。
やっぱり、といった風に表情を変化させた若林に含み笑って、今度はその頬に自分の両手を添えた。
若林同様、手袋をせずにいたシュナイダーの外気にさらされていた手は当然冷たくなっており、両の頬から伝う冷気に若林は首をすくめる。
痛みさえ孕む冷たさは、シュナイダーの心を反映してくれていたのだろうか。
自分の熱で次第に温まっていくシュナイダーの手を、若林は振り払わなかった。
彼の本心を探るように、目を閉じて、触れた場所に意識を集中する。
瞳を見ても、深いところはすぐに隠されてしまうのならば、直接触れて確かめるしかない。
この偽りようのない体温こそ彼の本心なのだと、若林はどこかで確信していた。
「雪は嫌いじゃない。」
若林の頬に手を添えたまま、シュナイダーははっきりと断言する。
その声に若林がうっすらと瞼を上げた。
焦点の合わない瞳で、ぼんやりと目の前にいる友人を見上げる。
あまりにも無防備なそれに、シュナイダーが思わず苦笑をもらすと、若林はパチパチと何度か瞳を瞬かせた。
そして今度ははっきりとシュナイダーを見つめ、次の言葉をじっと待つ。
そのときのシュナイダーの心には、もう、先ほど感じた寂しさなど存在してはいなかった。
幼子みたいだな、と思う。
結局自分はつまらないことにヤキモチを妬いていただけだったのだ。
「けど、ワカバヤシは好きだ。」
少し間を開けて繋げた言葉に、若林は表情を曇らせる。
「…“雪は嫌いじゃないけど、ワカバヤシは好きだ”…?」
意味が分からん。
ぽつん、と呟いて、若林はまた瞳を閉じる。
その様子を、シュナイダーは瞬き一つせずに見つめていた。
閉じられる若林の瞼を見て、何故か胸に鈍い痛みがのしかかる。
どうしてだろうと少し思考を巡らせ、すぐにその原因に思い当たった。
なんてことはない。
結局はさっき感じた寂しさと一緒だ。
あまりにも幼稚で馬鹿げた感情に、自分自身戸惑ってしまう。
しかし、悪くはない―――。
若林の両頬を捉えていた手を解いて、シュナイダーは若林に積もった雪を徐に払った。
漆黒の髪の毛や深紅のダウンジャケットに少しずつ真白な住人が棲みつこうとしているのが、無意識に気になってしまったらしい。
やさしく、しかし、念入りに雪を払うシュナイダー。
パサパサと雪が落ちていく感覚に、若林も思わず閉じていた目を開けてしまう。
真剣な顔して何してんだ、コイツ。
素直な感想はそれだ。
傘を差していないためいくら払ったってまた雪は自然と積もっていくのに、シュナイダーはこれから若林に積もろうと降ってくる雪さえもその白い手で必死に払っている。
若林よりもシュナイダーの方が雪にまみれているのに、おかしな光景だ。
友人の奇怪な行動に、若林はひっそりと唇を笑みの形に歪ませた。
面白かった、そして、何だか嬉しかったのだ。
なんでもない優しさが、今は胸に染み入るように暖かい。
白い景色の中に、色付いているのはふたりだけ。
くすくすと忍んだ笑い声が雪に溶けて消えるまで、あともう少し。
…END…
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