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いつもみたいに街で絡まれて。
気が付けば1vs8。
最初4人しかいなかった筈なんだケドよ。
路地に入ったところでまた4人増えたらしい。
さすがの俺でも8人は無理ってもんで。
口の端は切れて鉄の味はするし、頬は殴られた痛みで疼くし、鉄パイプで殴られた頭はガンガンする。
意識も朦朧としてきやがった。
ああ、俺こんな所で死ぬのかな。
それもまぁ、悪くはねーか……。
何て、思ってたのによ。
今俺の目の前に広がっている風景は何だ?
さっきまで俺があんなに苦戦していた相手が、きったねぇ道路にゴロゴロと転がされている。
死んではいねーみたいだけど。
それとは対照的に真っ白いコートをなびかせて、月明かりの下に佇んでいる一人の男。
冷たいまでの蒼い瞳が俺を見下ろしていた。
「貴様は余程負け犬に成り下がりたいらしいな。」
今やもうトレードマークとも言える重たそうなジュラルミンケースを片手に引っ提げて、海馬瀬人はそう言い放った。
うわ、お前何ソレ。何の冗談だよ?
月の光に照らされて正義のヒーローみてぇ。似合わねぇって。
……あれ?でも何の気まぐれにしても助けてくれたんだよな?一応。
礼くらい言ってもいいか……。
「サンキュ……。」
声、出てんのか?
ダメだ、すっげー眠ぃ…………。
取引先に向かう途中の車の中から、柄の悪い人間共に囲まれている明るい髪を見付けた。
相変わらずアイツは喧嘩をしているらしい。
この間、モクバもその現場を目撃している。
俺の知ったことではない。したいなら勝手にすればいいし、それで死んだとしても街のゴミが一つ減るだけだ。
俺の中ではそんな存在でしかないはずだ―――城之内克也という人間は。
しかしそんな心とは裏腹に、脚はヤツらが消えた路地へと向かおうとしている。
止める運転手を視線で黙らせてまで、俺は一体何をしようとしてる?
殴打する音が近づいてくる。
それから察するに複数。8人、と言ったところか……。
この人数だとあのゴキブリ並の生命力を持つ負け犬でも、些か苦戦しているのではないだろうか。
角を曲がってみれば案の定、ボロ雑巾のようになっている城之内。
似合いの姿だが……何処か気に食わん。
向かってくる相手を二度と立ち上がれないように這い蹲らせながら、意識は壁にもたれて頭から血を流しているヤツに集中している。
何故だ?何故ここまでこんなヤツが気に掛かる。
単なるいつもの気まぐれか。それとも。
ゴミ共を片付け終わった辺りで不思議そうに俺を見上げているヤツに気付く。
辛辣な言葉を投げてやったにも関わらず、城之内は掠れた声で礼を口にした。
それきり意識を手放してしまったのか、ピクリとも動かなくなってしまう。
……全くもって気にいらん。
こんなヤツを放っておけずに家に連れ帰ろうとする俺はもっと気にいらんが。
もたれてた壁の無機質な冷たさから解放されたと思ったら、身体が浮いたような感覚に見舞われて。
それが何だか心地良いんだ。
何が原因だかは分からねーけど。
……あったけぇ。
城之内が目を覚ましたのは見知らぬベッドの上だった。
覚醒しきっていない頭で辺りを見回せば、見慣れた顔がホッとしたように笑う。
「やっと気づいたか城之内ぃ!」
「……モクバ?」
夢?
有り得ない現実にそんなことを思ったが、ズキズキと痛む頭は感覚を急速に戻してくれた。
「俺……。」
「お前はホンットに運がいいぜ城之内ー!兄サマに拾って貰えるなんてサ!」
心許なさそうに聞いた城之内に、モクバは得意気に兄の親切を教える。
城之内が喧嘩していたところに、海馬が通りかかって助けてくれたというのだ。
信じられない事実を突きつけられて、城之内は頭を抱え込んだ。
あの、海馬が。
自分を助けてくれたというのだ。
(そう言えばジュラルミンケース振り回して、不良共を楽しそうに倒してる海馬を見たような……。
ああまた意識が朦朧としてきた……ッ。)
どうやら一番借りを作りたくないヤツに借りを作ってしまったらしい。
ハァ〜と深刻そうな溜息を吐く城之内に、モクバは不思議そうに首を傾げた。
「で、その親切な海馬は?」
当の本人がいないことに気が付いて城之内が聞くと、モクバはまた得意そうな表情を作る。
「兄サマは仕事だぜぃ!社長なんだから忙しいのさ!」
兄のことを自慢するのが余程嬉しいらしい。
兄の方は人間とは思えない冷血漢だが、弟の方はまだ親近感が持てる。
元々兄気質の城之内はモクバのことが嫌いではなかった。
こんな風に自分の兄に誇りを持っていること、それが微笑ましかったりさえする。
今まで見たことのないような兄の表情で笑う城之内に、モクバは内心動揺していた。
(コイツって兄サマとは違ったタイプの兄貴って感じするよな〜。
一緒に遊んでくれそうな……は!いかんいかん!俺の兄貴は兄サマだけだぜぃ!)
フルフルと頭を振って、モクバは動揺を隠すように勢い良く席を立つ。
「じゃな!俺はこの辺で退散するぜぃ!」
「ああ、悪かったな。」
城之内が眠れるようにと律儀に電気を消して、モクバはぶ厚い扉を閉めた。
いきなり訪れた静寂に城之内は身震いをする。
(モクバのヤツ、電気点けてけよな〜。)
暗闇を苦手としてる城之内にとって、だだっ広い部屋での闇はかなりの恐怖だ。
いつまでもこの闇に居られずさっさと寝ることに決め、布団へ潜り込んだ。
カツ、カツ。
広い廊下に小気味良い靴の音が響く。
時刻は既に23時を過ぎていた。
城之内が目を覚ましてから優に3時間は経過している。
足音の主は角を曲がったところに現れた顔に少々驚きながらも、優しく笑った。
「モクバ、こんな時間まで起きているとは珍しいな。」
そう言ってモクバの頭を撫でる。
「兄サマこそいつもより仕事終わるの早いぜぃ!」
嬉しそうに笑うモクバに、海馬は更に表情を緩める。
そして、仕事が一件キャンセルになったことを告げ、連れだって歩き出した。
ふと、モクバが口を開く。
「そう言えば城之内、一回目覚ましたケドさっき見に行ったらぐーすか寝てた。怪我はそんなひどくないって医者が言ってたよ。」
モクバの言葉に海馬は薄く笑う。
安堵の笑みなのか、嘲笑の笑みなのか。
モクバには判断が付きかねたが、何だか愉しそうだな、などと表情にこそ出さないものの、心の中で思ったらしい。
海馬は愉快そうに口元を歪めるだけだった。
「起きているか、負け犬。」
電気の点いた静かな部屋に、抑揚のない声がこだまする。
しかし返事はない。
代わりにすすり泣くような声が微かに海馬の耳に届いた。
見回してみると、窓際に置かれた天蓋ベッドの中でうずくまっている影。
「ふん……何をピーピー泣いている。」
その声にやっと気が付いたのか、城之内が顔を上げた。
ぱたぱた、ぱた。
拍子に驚いたように見開かれた鳶色の瞳から、透明な雫が落ちる。
それに気が付いて、城之内は袖で乱暴に顔を拭った。
拭ってから(しまった、コレ海馬のシャツだったっけ)とバツの悪そうな顔をする。
そんな城之内にイライラと、海馬は先程と同じ質問をぶつけた。
最後に「その耳は飾りのようだな」と嫌味を付けるのを忘れずに。
海馬に反論するでもなく、城之内は困ったように呟く。
「知らねぇよ……。」
力のない声にまた、海馬が一層眉根に皺を寄せた。
それからいつもの不敵な笑みを浮かべる。
「ふん、さすが犬だな。自分の感情すら理解出来ないか。」
いつもならここで城之内は食ってかかっているはず。
しかし今日は、悲しそうに目を伏せて「ほっとけ」と消えそうな声を出すだけだった。
そしてそのまま抱えた膝に顔を埋めてしまう。
その様子に、海馬の機嫌は目に見えて悪くなった。
(気に食わん。気に食わん、気に食わん!)
次第に剣呑な光が、海馬の切れ長の瞳に宿っていく。
何故、項垂れた城之内を見ているとここまでイラつくのか。
いつもと違う物に嫌悪を感じているだけだ、そうに決まってる。
自分にそう言い聞かせて、一つ大きく深呼吸をする。
するといくらか気分が鎮まった。
(何も負け犬相手にイライラすることもあるまい。)
自分の通常スタイルを思い出し、海馬はフ、と笑った。
それを見たのか、それとも肌で感じ取っただけなのかは分からないが、城之内が顔を上げる。
海馬を見ずに、正面をじっと見つめて、覚悟を決めたように話し出した。
「……夢を見たんだ。ちっせぇ頃の。やな夢。」
城之内の過去を海馬は知らない。知ろうともしない。
だから城之内が言っている過去の夢の内容も、海馬には推測することすら出来なかった。
城之内もわざわざ海馬に告げる気は全くない。
嘲り笑われるのも、同情されるのもゴメンだ。
……ゴメンだ。
「ま、テメーには関係ねーコトだよな。とりあえず助けてくれたことには礼を言うぜ。……サンキュ。」
「……礼ならもう聞いた。」
海馬の思いも寄らない返答に、城之内は目を丸くする。
(言ったンだっけ?俺。
ああ、そういや意識がなくなる前にボソッと言った気がする。
あれ、海馬の耳に届いてたんだ……。)
照れ臭いような、そんな気がした。
俯いて頬を染めてしまった城之内を見て、海馬は何とも形容しがたい気持ちになる。
いや、頑なに認めたくなかっただけだ。
「抱きしめてしまいたい」などと思った自分の感情を。
「じゃあ、怪我も大したこと無さそうだし帰るわ。俺の学ラン何処?」
頭に包帯を巻いて、顔にいくつも絆創膏。体中に手当の跡があるのに何処が大したことない怪我なのか。
ハァ、と大袈裟に一つ溜息を吐いて、海馬はベッドから降りようとする城之内を手で留めた。
その行動を訝しがって、城之内は些か表情を堅くしながら海馬を見上げる。
「なんだよ。邪魔者は帰るっつってんだから、素直に道あけろよ。」
「ならん。貴様今自分がどういう状況だか分かって言ってるのか。……全治三週間の怪我だぞ。
負け犬がいくら身体だけは頑丈に出来ているからと言って、すぐに帰せるような傷ではない。
だいたい、怪我人をこんな夜中に一人で放り出したと言うことを嗅ぎ付けられたら、海馬コーポレーションの名に傷が付く。」
そう言った海馬は感情云々ではなく、一つの大きな会社を束ねる者としての風格を漂わせていた。
それにう゛、と城之内は言い淀む。
海馬に圧倒されたというのもあったが、「夜中」と言う単語に「外が暗い」と言うことを再認識させられたという方が大きい。
(外は闇……ここまで借り作ったら一緒だよな〜。泊めてもらっちまうか。)
恐怖とプライドの間でしばらく悩んでいた城之内は、結局海馬の言葉に甘えることにした。
城之内の答えに海馬は知らず、その端正な顔に笑みを作る。
いつもとは違い、皮肉の込められていない綺麗な微笑み。
俯いていた城之内がそれを見ることはなかったが、当の本人はそれを自覚して呆然としていた。
有り得ないことが、今自分の中で起ころうとしているのだから。
海馬の心の葛藤など露知らず、城之内は再び眠りに就こうと布団に潜り出す。
しかし何かを思い出したのか、のそのそと柔らかすぎるくらいの掛け布団(勿論羽毛)を少しめくって、顔を覗かせた。
「海馬!寝るときは電気点けっぱなしにしてくれよ!」
城之内の言葉に、海馬のこめかみがピクリと動く。
「貴様……。」
「頼む!今日だけ!な!?」
海馬が文句を言うより早く、城之内は顔の前で両手をパン!と合わせた。
暗すぎる見知らぬ部屋で眠ったせいで、あんな夢を見たと踏んだのだろう。
城之内にしてみたら、明るいところで寝たい、と思うのは当然だ。
しかしその切実な気持ちは海馬には分からない。
分からないが―――。
「仕方のないヤツだ。人に迷惑かけてしか生きていられないのか、お前は。」
―――伝わりはしたらしい。
台詞自体はいつもの海馬だが、表情が幾分柔らかい。
「起きたら勝手に出ていけ。服なら横のクローゼットに洗濯させて入っている。」
「さ、さんきゅ……なんかさ。今日良いことでもあったんか?機嫌良いみてーだけど。」
至れり尽くせりな状況にさすがに疑問を感じたのか、城之内が怖ず怖ずと切り出す。
それに海馬はニヤリ、と口の端を上げた。
城之内が心持ち後ずさるのを見て、今度は可笑しそうに声を上げて笑う。
そして疑問符を飛ばしまくる城之内を一瞥した後、くるりとコートを翻して入り口付近までカツカツと歩いていってしまった。
相変わらずククク、とくぐもった笑いを噛み殺しながら。
「お、おい!」
慌てて城之内が呼び止めると、海馬はドアノブに手を掛けた体勢で振り返る。
その時城之内は見た。
海馬の瞳が今まで見た中で一番、愉しそうに輝いていたのを。
固まった城之内を余所に、形のいい唇が動く。
発せられた言葉は、教える気などさらさらない、簡素な答えでしかなかった。
「さぁな。」
・END・
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