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今日の練習中、どこからともなく子犬が乱入してきた。
追い出しても追い出しても、彼(彼女?)はしつこくフィールドの中に入ってきては、ボールを追いかけて俺達の邪魔をする。
元々サウザーという飼い犬がいる俺は、犬に関しては比較的寛大な心で接してやれるが、ハンブルグJrユースの選手の中には生粋の犬嫌いというヤツもいて、練習は酷い有様だった。
結局、これでは練習にならないと監督が切り上げを命じたのは、いつもの終了時刻の1時間前。
練習が早く終わったと喜ぶ者もいれば、し足りないと悔しがる者もいる。
どちらかと言えば俺は前者だ。そして、食えない幼馴染のカルツも前者。
彼は終了と同時にさっさと着替えて帰ってしまった。
相変わらずなヤツだ。
そして本来の性格から言えば確実に後者になるであろう日本からの留学生は―――ただ今、俺以外に誰もいないフィールドの中で、その乱入してきた子犬と思い切り楽しそうにじゃれあっている。
「お?お前ドリブルも出来るのか?やるじゃないか!」
黒く大きな鼻で自分と同じくらいあろうかというサッカーボールを押しながら疾走する子犬を見て、若林は感嘆の声を上げる。
犬ならあのくらい普通に出来ると思うぞ。
心の中のツッコミは置いといて。
俺は突っ立ったまま、彼らに混じることなくその光景を見つめていた。
子犬の犬種は良く分からない。きっと雑種だろう。あの図太さを飼い犬に身に付けられるはずがないと思い、捨て犬だろうと推測できた。あの大きな黒目がちの瞳が、どこか若林と似ている。
その若林は子犬が一生懸命持って来たボールを、力いっぱい反対側へ蹴り上げる。
すると子犬は残念がったり怒ったりすることもなく、そのボールに向かって一直線に走って行き、また持って帰ってきては若林がそのボールを蹴り上げる。
その繰り返しがずっと続いている。
いい加減飽きないか、と尋ねれば、「全然?」と笑顔と共に返ってきた。
ああ、馬鹿だ。
しかし、その馬鹿を一時間近くも飽きることなく見つめ続けている俺は、一体なんなのだろう?
若林は子犬に夢中で俺のことなど見向きもしない。
子犬は子犬で、遊んでくれる若林しか眼中にない。
ゴールポストに寄りかかって、楽しそうなひとりと1匹の様子を見ている俺は、傍から見ればさぞかし間抜けに映っていることだろう。
でなければ、相当の暇人か。
家に帰ればサウザーと可愛い妹が迎えてくれるだろうに、こんな所にひとりで、俺の方こそ馬鹿じゃないのか?
……。
だんだんと空しくなってきた。
帰るか。
そう思ってポストから身体を離したところで、タイミングよく若林が話し掛けてくる。
「あれっ。もう帰んの?お前。」
ぱちくりと瞬く瞳の中に浮かぶのは少しの寂しさ。
それを見つけしまうと、俺は首を横に振るしかない。
すると、若林は「そっか」と一言だけ言って微笑んだ。
そしてまた、俺には興味をなくして子犬とのエンドレスゲームに没頭し始めるのだ。
……。
さっきから何回目だ?このやり取り。
もう諦めて、ポストに寄りかかったついでに、ずるずると腰を下ろしてしまう。
実を言うと、帰ってしまおうとしたのは今回が初めてじゃない。
何度も何度も帰ろうとはしている。
その度に若林が振り返って寂しそうにするので、なかなか「帰る」とは言い出せないで今に至るのだ。
まあ、子犬と遊んでいる若林は、こっちが不躾な視線を送っても全く気にしようともしないから、鑑賞するには絶好の機会ではあるのだが。
いつもは見ていると、視線に敏感なのか「何だよ?」と顔をしかめられてしまう。
見られている=喧嘩を売られている
という図式が若林の中にあるのかもしれない。
だから曖昧に返す俺に、若林はいつも納得がいかないという風に眉根を寄せる。
これにはもう笑うしかない。
「無意識に視線がそっちへ行ってしまう」なんて、きっと理解できないのだろうな。
とりあえず子犬と遊ぶ若林を眺めることにする。
動物相手で気を張る必要がないからか、若林はいつも以上に無防備な表情をさらしていた。
それこそ見たことのないような。
常にピリッとした空気を纏っている若林が、今は心底楽しいというようにはしゃいでいる。
その表情を見ていると、ここでぼぅっとしているのも悪くはないかな、と思えてくる俺は相当オカシイ。
とにかく可愛い。
子犬以上に若林が可愛い。
捨てられているものなら、即、家に連れて帰りたいくらいに可愛い。
ああ、今ここにカメラがあれば、フィルム3本分くらい撮りまくってやるのに。(←それじゃ本当におかしな人です皇帝)
ちょっと走ればすぐに手が届く距離に若林はいる。
周りには誰もいない。
いきなり抱きしめても不審に思うのは若林本人と―――もしかしたら足元の子犬だけ。
ならば。
迷う必要もないだろう。
「……な、何だ……?」
今まで嬉しそうに笑っていた若林の声が、戸惑いの色を帯びる。
そりゃ、そうだろうな。
前触れもなく、いきなり後ろから抱きしめられて、戸惑わない人間がいたら見てみたいものだ。
やはり足元の子犬も俺の突飛な行動に警戒心を抱いて、距離を取りながらくるくると回っている。
ちょっと邪魔だ。
足で軽く払いながら、俺の腕から逃れようと頑張っている若林をもう一回強く抱きしめ直す。
力を入れすぎて、若林が蛙が潰されたような声を発したが、それは気にしないことにしておこう。
「そろそろ帰らないか?若林。」
未だに逃れようと一生懸命な若林に、わざと耳元で囁いてやる。
すると身体がピクリと動いた。
耳が真っ赤だ。
構わず続ける。
耳朶に唇が付くか付かないか、そんな至近距離で。
「お前が飽きてなくても、俺は飽きてきた。」
「…だったらひとりでさっさと帰れば良いだろうが。」
「お前が寂しそうにしなければ、とっくに帰っている。」
「!!誰がいつ!寂しそうになんてしてたよ!?っとに、お前のその勘違い癖、どうにかしろよな!?」
怒りのため瞬間的に力が出たのか、若林は俺の腕を跳ね飛ばして正面から睨んでくる。
相変わらず顔は紅潮しているし、興奮したせいでつり上がった瞳は少し潤んでいるから迫力は全くない。
―――だから、可愛いって。
そう思いたくもなる。
成長期とは言え俺の方がまだ背は高いから、自然と上目遣いになってしまうことを若林は自覚しているのだろうか。
見上げられると弱い。だからマリーに頭が上がらないのかもしれないが。
じっとこちらを見つめている若林は、うっかり頬を緩ませてしまった俺のことをますます不信の目で睨んでいた。
「……なんだよ。」
これでもかという程眉間に皺を寄せて、若林は唸る。
そうすると自然と尖ってしまう唇。
吸い寄せられるように口付けてしまった俺を、一体誰が責められるのだろう。
「……!!」
不意打ちに驚いて、若林は後ずさろうとする。
その腕を捕まえれば驚愕に見開いていた瞳を更に大きく広げた。
ばしん、と俺の腕を払いのけて、けれどすぐに、その自分の行動に驚いて(多分無意識だったのだろう)その目に不安を揺らめかせる。
このくらいで傷付くほど、俺は繊細に出来てはいないんだが。
戸惑いから動きの鈍った若林をもう一度捕まえて、今度は角度をつけて口付ける。
やはり、今度も逃げようとするから本気で引き寄せた。
俺のことを自分から引き剥がそうと背中のユニフォーム部分を若林は必死に引っ張っているけれど、はっきり言ってあまり意味をなしていない。
首が少し苦しいが、それだけ。
そんなに嫌ならば侵入してくる俺の舌を噛み切ってしまえば良いのに。
それをしないのは嫌ではないからなのか、それとも、殺人犯になりたくないだけなのか。
勝手に前者だと勘違いしていても良いのだろう。
若林に言わせると、勘違いは俺の得意分野らしいから。
幸せに浸ることしばし。
天災は忘れた頃にやってくる、とはよく言ったものだと思う。
「……ッ?」
左足に違和感を感じて目線をそちらに向けて見れば、何かが俺のふくらはぎにぶら下がっている。
というか、噛み付いている。
確かめるまでもない―――あの、子犬だ。
「痛ッ…!」
思わず左足を振って子犬を引き剥がす。
きゃいん、と痛々しい声を上げて、子犬は俺達から逃げていった。
痛いのはこっちだ。
力はそんなになかったために、あまり傷は深くないようだが、それでもそれなりに痛みは発生する。
サッカー選手の命とも言える足を噛むなんて、なんていう犬だ。
いくら広い心の俺でも、これは怒っても仕方がないというものだろう。
「……自業自得。」
ピリピリと怒りを纏わせている俺に、若林は口元を拭いながら可愛い顔で可愛くないことを言う。
……どうして俺のせいなんだ。
「さっきお前、子犬のこと足で払っただろう。怒ったんじゃねぇの?」
「……だからと言って。」
「ま、可哀想ではあるかな。仕方ねぇから肩貸してやるよ。ありがたく思えよな。」
困った様に笑って、まだ憮然としている俺の左肩を自分の肩に回す若林。
さほど痛くはないが、悪化すると困るから素直に甘えておこう。
チームのエースが怪我をして欠場なんて、馬鹿らしくて笑ってしまうだろうから。
優しい若林に甘える機会も早々ないことだし。
お礼とばかりにこめかみ辺りにキスを送ってやる。
すると若林の表情はむすーっと怒り顔に変わってしまった。しかし、どうやら怪我人を放り出す気はないようだ。
安心して体重を預けると「重い…。」と文句が聞こえたが、無視することにした。
どちらもユニフォームのままだから、一度着替えにロッカールームに戻らなくてはならない。
幸い、今日の練習が終わって相当経つから、人はいまい。
なぁ、若林。
―――楽しいことを、しようか。
…End…
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