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空は快晴。
風はほど良く、気持ち良く。
隣にいるのは久しぶりに会う恋人で。
幸せでないと言ったら嘘になる。
けれど。
これから起こる事を予想すると、はっきり言って不愉快にならざるを得ない。
ああ、あの飛行機を撃ち落したい。
「な〜に物騒なこと言ってんだよ、シュナイダー?」
願望は、うっかり声に出ていたらしい。
隣に立つ若林が、不思議そうに覗き込んでくる。
だから、至近距離に来るなって。
無防備な身体を引き寄せたくなるだろうが。
「……気にするな。」
少し距離を取りつつ、つっけんどんに返事をしてやる。
すると若林は、「お前はいつも挙動不審だ」と怒ったように呟いて、溜息をついた。
…お前が鈍すぎるだけだ。
練習や試合、距離のこともあって、若林に逢えない日々が2ヶ月続いた。
さすがに焦れてきた俺は、父さんの静止も聞かず、無理矢理時間を空けて、ハンブルグまで車を飛ばしまくり。
ランニング中に猛スピードで突っ込んできた俺に対し、若林は初めひどく驚いていたが(そして怒っていた)すぐに、はにかむ様に笑って。
ああ、もうこの表情を見れただけでも十分かも…なんて、つい思ってしまう。(そのまま車に乗せてミュンヘンに連れて帰ろうなんて思ったことは秘密だ)
その日は思い付きで来た為、ホテルを取ってなかった俺を若林はしぶしぶ自宅に泊めてくれ、夜は昔話に花を咲かせたり、近況を報告しあったりしているうちに全く健全に終わってしまった。
まぁ、セックスするだけが恋人じゃないし、と朝目覚めて呟いた俺だが。
今、そのことを激しく後悔している。
「もうすぐだぞ、シュナイダー。」
ウキウキと話す若林の笑顔がいつもより輝いているように見えるのは、俺の気のせいか?
ちなみに今俺たちがいるのは、ハンブルグ空港。
ここに、もうすぐ、頭痛の種がやってくる。
若林にとっては歓迎すべき客であっても、俺にとってそうでないことは意外と多く。
今回はその中でも群を抜いて厄介な相手だった。
それも、2人揃ってやってくるらしい。
何を考えているのやら…。
恐らく、俺にとってあまり良いことでないことだけは確かだ。
あの2人は、個別でも十分危険因子なのだが、2人揃うととんでもない破壊力を発揮する。
「あ!来たぞ!」
うんざりと溜息をついた俺に構わず、若林は目当ての2人を見つけて一生懸命に手を振っている。
あーあー嬉しそうだなお前。
昨日俺に逢ったときより嬉しそうだぞ…。
さすがに凹みそうだ…。
思わず項垂れてみるが、隣の有頂天は既に視界から俺を抹殺しているらしい。
前方を嬉しそうに見つめる若林は、今度は被っていた帽子を脱ぎ、それを振り回して自分の位置を相手に伝えようとしている。
回す腕は大きな弧を描き、時々、俺の頭上を通り過ぎていく。
切る風が髪を掠って、寝癖の髪が更に乱れてしまった。
治すのも面倒臭いので、そのまま放っておく。
しばらくすると、あちらも俺たちに気がついたのか、若林に負けじと手を振り始めた。
『『若林くん!!』』
訂正。
奴らが見つけたのは「俺たち」ではなくて、「若林」だけだったようだ。
『わーわー!何ヶ月ぶりだろう〜!元気だった??』
人込みを器用にすり抜けて、先に姿を見せたのは岬だった。
相変わらず人の良さそうな笑みを浮かべて、若林に話し掛けている。
隣の俺に気がつくと、
『あ、シュナイダーまで来てくれたの?』
と、思い切り微笑んでくれた。
言葉は日本語で、俺には全く通じない。
けれど、分かっている。
この笑顔が好意の笑みなんかじゃないってことくらいは。
綺麗な顔に本音が浮き出てるぞ、岬。
今回の場合、お邪魔虫はお前らだ。断じて俺ではない。
『若林くんーッ!』
岬に遅れること数十秒。
ラスボスの登場だ。
『翼!』
本当にお前は翼が好きだよな、若林。
少々いじけて、そんなことを思う。
何だその嬉しそうな顔は。
いつもの厳しさと凛々しさは、一体どこに忘れてきたんだ?
翼が完全に姿を見せると、若林は2人に向かってにっこーと極上の笑みを浮かべる。
滅多に見せない、安心しきった笑顔だ。
それに、翼と岬も心からの笑顔を返す。
彼らを包む空気は、甘ったるく輝いていた。
『…あ、シュナイダー。』
しばらくして、漸く俺に気付いた翼が呟く。
いや、今まで絶対故意に無視していたぞ、コイツ。
勝ち誇ったように笑うその顔が、俺は心底嫌いだ。
『君まで、どうしたの?確か……ミュンヘンに行ったはずじゃ?』
ドロドロと目に見えそうな黒いオーラを称えているにも関わらず、ヤツの笑顔はいつもと変わらず人懐こい。
何を聞かれたのか分からず黙っていると、横から若林がドイツ語に訳してくれた。
ふむ、つまり俺は嫌味を言われたわけだな。
「若林に逢いに、ちょっと帰って来ただけだ。」
通訳者である若林を見ずに、翼を睨みつけながら言う。
若林は俺の言葉を日本語に直して翼に告げていたが、当の本人はそれを聞いているようで全く聞いていないのが俺には良く分かった。
ゆったりと微笑んだ瞳が、探るように俺を見つめている。
その瞳に浮かぶのは明らかな侮蔑で。
―――いつ逢っても、本当に感じの悪い奴だ。
鈍い若林もさすがにその場の淀んだ空気を読んだのか、首を傾げている。
全ての原因はお前なんだがな。
さすがにそこまでは気付かないらしい。
…ふと。
岬が若林の袖を、ちょい、っと引っ張った。
『若林くん、ちょっと屈んで?』
可愛らしい笑みを浮かべて何事か囁いている。
また日本語だ。
フランス語ならまだ少しは理解できるものの、日本語はさっぱり分からない。
どうせならフランス語で喋ればいいのに。
ああ、でもそうすると、今度は若林が理解できないのか…。
ええい、面倒臭い。
いっそのこと地球統一言語とか、誰か開発してくれないものだろうか。
『何だ?岬。』
岬と目線を合わせようとしているのか、少し屈む若林。
届くようになった肩に軽く手を添えて、岬は若林の左頬にちゅっとキスを落とした。
硬直している若林に構わず、右頬にも同じことを繰り返す。
「『―――!!??』」
驚いたのは俺だけではなかったらしい。
睨み合っていた翼までもが言葉をなくしている。
人畜無害そうな顔して、何をやらかしてくれるんだ、コイツは。
しかし当の本人である岬は、固まっている俺たちを見て不思議そうに首を傾げるだけだった。
『……?皆何固まってるの?フランスではこんなの日常の挨拶だよ?』
にっこりと笑って何事かを言う岬。
しかしやはり日本語。何を言っているのかさっぱり理解できない。
若林は安堵したような表情で岬と何もなかったかのように話しているし、翼は翼で納得したような顔で頷いている。
誰か何が起こっているのか教えろ(命令調)
恨みがましく若林を睨んでやったら、どうやらその視線の意図に気が付いたらしい。
「フランスではああいうのは普通の挨拶なんだと」と、苦笑いで説明してくれる。
ああ、確かにそんな民族性があるのを聞いたような気もするが…。
しかし、アレはキスするんだったか?
ただ頬を合わせて口でちゅっと音を立てるだけじゃなかったか?
いつだかピエールに、男同士の挨拶は握手に留めるという事も聞いたぞ。
……。
俺の記憶違いだろうか。
唸る俺に構うはずもなく、一足先に我に帰った翼はするりと若林の隣に滑り込む。
ハッと、俺が気が付いたときには、既に時遅し、と言う奴だった。
『俺も、ブラジル式の挨拶、しても良いかな?』
にこっと翼が笑って言えば、若林が断るはずもない。
頷いた若林を確かめてから、翼は軽く背伸びをして、若林の両頬を包み込む。
前髪が触れ合いそうな至近距離。
それだけで俺の堪忍袋の緒はギリギリと物騒な音を立てていると言うのに。
あろうことか、このサッカーの申し子は。
何とも自然な仕草で。
俺の(強調)若林に口付けをかました。
「!!」
衝撃は岬の時の比じゃない。
翼はちゅ、と軽く音を立てて口付けたあと、角度をつけて若林の唇をしっかりと塞いだ。
さすがに何かおかしいと感じたんだろう。
若林は自分から翼を引き剥がそうと、ヤツの上着を一生懸命に引っ張っているが、どこにそんな力があるのか、翼はびくともしない。
慌てる若林を愉快そうに戒めて、更に奥へと侵入する。
待て待て待て待て!
何事にも限度と言うものがあるだろう!
いくら常識が通じないお前と言っても、友人にそこまでするか!?
それとも俺の前だからか、そうなのか。
岬の『仕方ないな〜翼くんは』とのほほんと笑う姿も、俺は全く気に食わないぞ。
それより何より。
「いつまで好きにさせているんだ、若林!!」
ぐいっと、自分側へ強引に若林を引き寄せる。
と、翼があっさりと離れた。
べーっと舌を出して、愉しそうに笑っている奴を見て確信する。
つまりは、そう言うことか…!
最早嫉妬などと言うレベルではない。
俺はこいつらに今、明らかな憎悪を抱いたぞ。
今ここにサッカーボールがあれば、顔面にファイヤーショットを見舞ってやれるのに。
俺は、ぐつぐつと腸が煮えくり返るような怒りを、どうやって奴らにぶつけてやろうかと考えながら、翼と岬を睨みつけていた。
だが。
けほ。
「ブラジルって、挨拶激しいなァ〜。」
ひとつ咳き込んで、若林があさってな感想を口にしたから。
全身から力が抜けて、ついでに負の感情までも外に出て行ってしまったようだ。
翼と岬は、若林が何を言ったのか分からず、同時に首を傾げていた。
そういえば、今呟いた言葉はドイツ語だったな…。
やはり、日本人とは言え長くこちらにいるせいもあり、若林に日常語は既にドイツ語なのだ。
きっと今、自分が呟いたのがドイツ語だってことにも、本人は気付いていないだろう。
何となく、嬉しかったりする。
「こんな所で喋ってないで、市内観光でもしてやったらどうだ?」
嬉しいついでに、心まで一気に広くなったようだ。
さっきとは違いにこやかに笑いながらの俺の提案に、若林は少し不思議そうな顔をしていたけれど、すぐに、それもそうだな、と楽しそうに頷く。
それを見た翼と岬の表情が、ぴくりと動いたけれど。
まぁ、いいさ。
今日の所は、おとなしく引き下がってやろう。
どうせ、若林は。
―――既に、俺のものなのだから。
…End…
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